陳留
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「陳留」登場回数
合計: 36回「陳留」が登場する場面
7件呂布
もういいだろう」 。 董卓は、股肱の李儒に計った。それは、かねて彼の腹中にあった画策で、現在の天子を廃し、彼の見こんだ陳留王を位につけて、宮廷を私しようという大野望であった。 李儒は、よろしいでしょうと云った。時機は今です、早くおやりなさいともつけ加えた。
死活往来
呂布がどうして、曹操の空巣をねらってその根拠地へ攻めこんできたのであろうか。 彼も、都落ちの一人である。 李傕、郭汜などの一味に、中央の大権を握られ、長安を去った彼は、一時、袁術の所へ身を寄せていたが、その後また、諸州を漂泊して陳留の張邈を頼り、久しくそこに足を留めていた。 すると一日、彼が閣外の庭先から駒を寄せて、城外へ遊びに出かけようとしていると、 。「ああ、近頃は天下の名馬も、無駄に肥えておりますな」 。
江東の虎
「ちがいます――かつてなかった叛軍の大がかりな旗挙げが起りました」 。「どこに」 。「陳留を中心として」 。「では、主謀者は曹操か袁紹のやつだろう」 。「さようです。
白面郎「曹操」
年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を占めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々たる朝臣の一員となっているところ、早くも凡物でない圭角は現れていた。 竹裏館の秘密会で、王允もいったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以来の――漢の丞相曹参が末孫だといわれている。 生れは沛国譙郡(安徽省・毫県)の産であるが、その父曹嵩は、宮内官たりし職...
白馬将軍
――今にして初めて、耿武の忠諫が思いあたる」 。 と、悔いたが、時すでに遅しであった。彼は日夜、懊悩煩悶したあげく、終に陳留へ奔って、そこの太守張邈の許へ身を寄せてしまった。 一方。 北平の公孫瓚は、「かねての密約」と、これも袁紹の前言を信じて、兵を進めて来たが、冀州はもう袁紹の掌に落ちているので、弟の公孫越を使者として、 。
秋雨の頃
荀彧はわずか二十九歳だった。また甥の荀攸も、行軍教授として、兵学の才を用いられて仕え、そのほか、山中から招かれて来た程昱だの、野に隠れていた大賢人郭嘉だの、みな礼を篤うしたので、曹操の周囲には、偉材が綺羅星のごとく揃った。 わけても、陳留の典韋は、手飼いの武者数百人をつれて、仕官を望んで来た。身丈は一丈に近く眼は百錬の鏡のようだった。戦えば常に重さ八十斤の鉄の戟を左右の手に持って、人を討つこと草を薙ぐにひとしいと豪語してはばからない。
競う南風
――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働いている。