諸葛氏一家
しかも、豊は国法の曲ぐべからざることを説いてゆるさなかったので、天子はかえって彼を憎み、彼の官職をとり上げて、城門の校尉という一警手に左遷してしまった。 それでも、彼はなお、しばしば怪しからぬ大官の罪をただして仮借しなかったため、ついにそういう大官連から排撃されて、やがて免職をいい渡され、ぜひなく郷土に老骨をさげて、一庶民に帰してしまった人だとある。 その祖先の帰郷した地が、瑯琊であったかどうか明瞭でないが――孔明の父、諸葛珪のいた頃は、正しく今の山東省――瑯琊郡の諸城県から陽都(沂水の南)...
孔明の巻
本文
三国志