隆中
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すると徐庶は、そこへ近づいてくるやいな、玄徳の鞍わきへ寄って、早口にこう告げた。「夜来、心みだれて麻のごとく、つい、大事な一言をお告げしておくことを忘れました。――彼方、襄陽の街を西へへだつこと二十里、隆中という一村落があります。そこに一人の大賢人がいます。――君よ。
多少彼を認め彼を尊敬していた者まで、月日とともにことごとく彼を離れた。 ただ、その後も相かわらず、彼の草廬へよく往来していたのは、徐庶、孟建ぐらいなものだった。 襄陽の市街から孔明の家のある隆中へ行くには、郊外の道をわずか二十里(わが二里)ぐらいしかない。 隆中は山紫水明の別天地といっていい。遠く湖北省の高地からくる漢水の流れが、桐柏山脈に折れ、※水に合し、中部支那の平原をうねって、名も沔水と変ってくると、その西南の岸に、襄陽を中心とした古い都市がある。
徐庶は、責任を感じた。また、玄徳のために、途々、苦念した。「そうだ……隆中へ立寄っても、さして廻り道にはならぬ。――別辞かたがた孔明にもちょっと会って行こう。そして主君玄徳の懇望があったら、ぜひ召しに応じてくれるよう、自分からもよく頼んでおこう」 。
ああ惜しいことをした。もし徐庶が行きさえしなければ、老母も無事だったろうに、徐庶が行っては、老母もかならず生きておるまい」 。「実は、その徐庶が、暇を乞うて去る折に、隆中の諸葛孔明なる人物をすすめて行きましたが、何分、途上の別れぎわに、詳さなことも訊くいとまがありませんでしたが……先生には、よくご存じでしょうか」 。「は、は、は」と、司馬徽は笑いだして―― 。「己れは他国へ去るくせに、無用な言葉を吐いて、他人に迷惑をのこして行かなくてもよさそうなものじゃ。
一。 一行が、隆中の村落に近づいたころは、天地の物、ことごとく真白になっていた。 歩一歩と、供の者の藁沓は重くなり、馬の蹄を埋めた。 白風は衣をなげうち、馬の息は凍り、人々の睫毛はみな氷柱になった。
――曹操は一言、 。「よし」と、云ったきりであった。 また彼は、多くの武士を隆中に派して、孔明の妻や弟などの身寄りを詮議させていた。 曹操が孔明を憎むことはひと通りでなかった。「草の根を分けても、彼の三族を捕えてこい」 。
しかもそれによって、曹軍の鋭鋒を一転北方へかえすことができれば、こんな快事はないでしょう」 。「ふたりの女性とは、そも、何処の何ものをさすのか、はやくそれを云ってみたまえ」 。「まだ自分が隆中に閑居していた頃のことですが――当時、曹軍の北伐にあたって、戦乱の地から移ってきた知人のはなしに、曹操は河北の平定後、漳河のほとりに楼台を築いて、これを銅雀台と名づけ、造営落工までの費え千余日、まことに前代未聞の壮観であるといっておりましたが……」 。 孔明は容易に話の中心に触れなかったが、しかも...