雒城
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と、即日、軍をすすめた。二。 雒県の山脈と、往来の咽喉を扼している、雒城の要害とは、ちょうど成都と涪城のあいだに在る。 涪城から玄徳が放しておいた斥候の一隊は、倉皇と立ち帰ってきてこう報らせた。「蜀の四将が、全軍五万を、二手にわけて、一は雒城をかため、一は雒山の連峰をうしろにして、強固な陣地を構築しております」 。
と警報した。 こういう注意があったため、魏延の陣地でも、黄忠のほうでも、連絡を密にして、昼夜巡見を怠らずにいた。 そのため、雒城の鋤鍬部隊は、毎夜のように堤防をうかがうが、どうしてもこれの決潰に手を下すことができない。 とかくするうち一夜、雨風が烈しく吹きすさんだ。「こよいこそは」と、五千の鋤鍬部隊は、墨のような夜をひそかに出て、涪江の堤に接近し、無二無三堤を決って、濁水を地にみなぎらせんと働いた。
いつまで魏延、黄忠を涪水の線に立たせておくは下策です」 。 励まされて、玄徳は、次の日涪城を発し、前線へ赴いた。「雒城の要害はまさに蜀第一の嶮。いかにせばこの不落の誇りを破り得ようか」 。 以前、張松から彼に贈った西蜀四十一州図をひろげて、玄徳はそれと睨みあっていた。
そして、孔明のひきいて行った荊州の精兵といえば、わずか一万に足らなかった。 張飛をその大将とし、峡水の水路と、嶮山の陸路との、二手になってすすんだ。「まず張飛は、巴郡をとおり、雒城の西に出でよ。自分は趙雲を先手とし、船路をとって、やがて雒城の前にいたらん」と、告げた。 二道に軍を分って立つ日、野宴を張って、 。
翌日の夕方。 例のとおり張飛の兵は、馬に草を積んでぞろぞろ本陣へ帰って行ったが、そのうちの組頭が、張飛の顔を見るといった。「大将、決して労を惜しむわけではありませんが、雒城へ通るには、何もあんな道なき所を伐り拓かなくても、べつに、巴城の搦手の上から巴郡の西へ出る間道がありました。なぜあの隠し道をおすすみにならないのですか」 。 すると、張飛は初めて知ったように、眼をみはって、 。
案のじょう野陣の寄手はさんざんに混乱して逃げくずれた。面白いほどな大快勝だ。途中、莫大な兵糧や兵器を鹵獲しつつ、ついに雒城の下まで追いつめて行った。 潰走した蜀兵はみな城中にかくれて、ひたと四門をとじてしまった。蜀の名将張任の命はよく行われているらしい。