魏都
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「直ちにその方針をとれ」 。 と、決定を与えた。 使者はたちまち五方に急ぎ、魏都の兵府はいまや、異様な緊張を呈した。ただ一抹のさびしさは、この頃すでに、曹操時代の功臣たる張遼、徐晃などという旧日の大将たちは、みな列侯に封ぜられて、その領内に老後を養っている者が多かったことである。 さはいえ、また新進の英俊も決して少なしとはしない。
「腐れ儒者、兵事に口をさしはさむな。蜀呉の結ぶは何のためぞ。すなわちわが魏都を攻めるためではないか。安閑とそれを待てというのか」 。 逆鱗すさまじいものがある。
一。 自国の苦しいときは敵国もまた自国と同じ程度に、或いはより以上、苦しい局面にあるという観察は、たいがいな場合まず過りのないものである。 その前後、魏都洛陽は、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。 それは、蜀呉条約の発動による呉軍の北上だった。しかもそれはかつて見ないほど大規模な水陸軍であると伝えられたので、 。