黎陽
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「黎陽」登場回数
合計: 19回「黎陽」が登場する場面
7件丞相旗
一。 その頃、北海(山東省・寿光県)の太守孔融は、将軍に任命されて、都に逗留していたが、河北の大軍が、黎陽まで進出してきたと聞いて、すぐさま相府に馳けつけ、曹操に謁して、こう直言した。「袁紹とは決して軽々しく戦えません。多少は彼の条件を容れても、ここはじっとご自重あって対策を他日に期して和睦をお求めあることが万全であろうと考えられますが」 。
十面埋伏
一。 袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。 黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。 ふと眼をさますと。
死活往来
そして、密書の要点に入って、 。(――今、濮陽城は留守の兵しかいません。呂布は黎陽へ行っているからです。即刻、閣下の軍をお進め下さい。わたくしどもは機を計って内応し、城中から攪乱します。
溯巻く黄河
一朝一夕に崩壊するとは見えなかった。「――敵の勢力を三分させ、箇々殲滅してゆく策をおとりになっては如何ですか。まずそれを誘導するため、味方の勢を実は少しずつ――黎陽(河南省逡県東南)鄴都(河北省)酸棗(河南省)の三方面へ分け、いつわって、袁紹の本陣へ、各所から一挙に働く折をうかがうのです」 。 これは荀彧の献策だった。こんどの戦いで、荀彧が口を出したのは初めてであるから、曹操も重視してその説に耳を傾けた。
白馬の野
馬蹄にかけられてみな逃げ散ってしまった。 先陣は、冀州の猛将として名ある顔良にも命じられていた。勢いに乗じて、顔良はもう黎陽(河南省・俊県附近)方面まで突っこんでいた。 沮授は、危ぶんで、 。「顔良の勇は用うべしですが、顔良の思慮は任ずべきでありません、それに先陣の大将を二人へ任じられるのもいかんと思いますが」と、袁紹に注意した。
自壊闘争
冀州の動揺はいうまでもない。「ここまで、敵を入れては、勝ち目はないぞ」 。 と、青州、幽州、并州の軍馬は、諸道から黎陽へ出て、防戦に努めた。 けれど曹軍の怒濤は、大河を決するように、いたる所で北国勢を撃破し、駸々と冀州の領土へ蝕いこんで来た。 袁譚、袁煕、袁尚などの若殿輩も、めいめい手痛い敗北を負って、続々、冀州へ逃げもどって来たので、本城の混乱はいうまでもない。
邯鄲
ですから、呂曠、呂翔の二人には、あなたから密意を含ませておいて、いつでも変あれば、内応するように備えておかなければいけますまい」 。「大きにそうだ。しかしいま、曹操は黎陽まで引揚げ、呂曠と呂翔もつれて行ってしまったが、何かよい工夫があるかの」 。「二人を将軍に任じ、あなたから将軍の印を刻んでお贈りになったらいいでしょう」 。 袁譚は、げにもとうなずいた。