何太后(かたいこう)とは 何太后は後漢霊帝の皇后であり、少帝劉弁の生母。名は伝わっていないが、「何皇后」「何太后」として歴史に名を残す。外戚として兄の何進と共に権力を握ったが、やがて董卓により廃されて悲劇的な最期を遂げた。 ...
一 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。 董卓は、そこの衛兵に、 「監視を怠るな」と厳命しておいた...
一 洛陽の余燼も、ようやく熄んだ。 帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。 何太后は、帝を迎えると、 「おお」 と、共に相擁したまま、しばらくは嗚咽にむせんでいた。 そして太后はすぐ、 ...
一 その日の戦いは、董卓の大敗に帰してしまった。 呂布の勇猛には、それに当る者もなかった。丁原も、十方に馬を躍らせて、董卓軍を蹴ちらし、大将董卓のすがたを乱軍の中に見かけると、 「簒逆の賊、これにありしか」と、馳け迫って...
一 何進の幕将で中軍の校尉袁紹は、何進の首を抱いて、 「おのれ」と、青鎖門を睨んだ。 同じ何進の部下、呉匡も、 「おぼえていろ」と、怒髪を逆だて、宮門に火を放つと五百の精兵を駆って、なだれこんだ。 「十常侍をみな...
霊帝(れいてい)とは、後漢末期の皇帝、劉宏(りゅうこう)のことです。 生涯 霊帝は、後漢の第12代皇帝で、即位した当時は若年でした。父は桓帝(かんてい)で、死後に皇后の甄氏(しんし)の子として擁立されました。彼の治世(168年〜...
一 百官の拝礼が終って、 「新帝万歳」の声が、喪の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(近衛兵)を指揮する袁紹は、 「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」 と、剣を抜いて宣言した。 そしてみずから宮中を捜しまわっ...