冒頭 辛毘(しんび)とは、河北の袁氏政権から曹操陣営へ転じ、のち魏の朝廷で諫官・侍中として君主をいさめた文官です。袁譚の使者として曹操に面会し、冀北攻略の急務を説いて進軍の方向転換を促す役を担います 。 生涯 袁譚...
冒頭 冀北(きほく)とは、後漢末から三国時代初頭にかけて、冀州を中心とする華北一帯のうち北方を指して用いられる地域名で、袁紹勢力の基盤として語られることが多い土地です。 概要 作中では「冀北の強国、袁紹」という言い方で、袁紹...
冒頭 鄴(ぎょう)とは、後漢末から魏にかけて華北の要地となった冀州の大城郭で、作中では鄴城・鄴都として現れる都市です。 概要 冀北一帯を押さえる軍事・政治の拠点であり、袁紹勢力の本拠としての性格と、のち曹操が河北平定...
一 遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。 董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変らずだった。 彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大...
一 玄徳が、その一族と共に、劉表を頼って、荊州へ赴いたのは、建安六年の秋九月であった。 劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに疎遠の情をのべてから、 「この後は、長く唇歯の好誼をふかめ、共々、漢室の宗親たる範を天下に垂れん」...
一 冬十月の風とともに、 「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平のほうから枯野を掃いて聞えてきた。 袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みをとき、木の葉の如く鄴城へ退却しだした。 袁譚は城を出て、その後備えを追撃した。そして...
一 呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。 国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...
一 いまや曹操の勢いは旭日の如きものがあった。 北は、北狄とよぶ蒙古に境し、東は、夷狄と称する熱河の山東方面に隣するまで――旧袁紹治下の全土を完全に把握してしまった。彼らしい新味ある施政と威令とは、沈澱久しかった旧態を一掃し...
一 袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。 黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。 ...
一 冀北の強国、袁紹が亡びてから今年九年目、人文すべて革まったが、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変らなかった。 そして今し、建安十五年の春。 鄴城(河北省)の銅雀台は、足かけ八年にわたる大工事の落成を告げてい...
一 この当時である。曹操は大いに職制改革をやっていた。つねに内政の清新をはかり、有能な人物はどしどし登用して、閣僚の強化につとめ、 (事あれば、いつでも)という、いわゆる臨戦態勢をととのえていた。 毛玠が東曹掾に任じられ...