冒頭 東門(とうもん)とは、城郭都市や官衙の囲いに設けられた門のうち、東側に開く出入口です。 概要 後漢末の都市は城壁と複数の城門を備え、門は交通の結節点であると同時に、防衛線としても機能しました。東門は方位で識別さ...
冒頭 孫仲(そんちゅう)とは、黄巾の乱の残党として南陽方面で蜂起を続けた賊軍の将で、韓忠・趙弘と並んで官軍に追討された人物です。 生涯 朱雋の官軍が陽城を落として与党の掃討を進めると、孫仲は韓忠・趙弘とともに宛城に立...
冒頭 南門(なんもん)とは、城郭都市や要塞化した城の城壁に設けられる南側の出入口で、攻城戦・防衛戦・退却路のいずれにおいても要点となる城門です。四方に門を持つ城では、北門・東門・西門と並ぶ基本区画の一つとして扱われます。 概...
一 出稼ぎの遠征軍は、風のままにうごく。蝗のように移動してゆく。 近頃、風のたよりに聞くと、曹操の古巣の兗州には、呂布の配下の薛蘭と李封という二将がたて籠っているが、軍紀はすこぶるみだれ兵隊は城下で掠奪や悪事ばかり働いている...
一 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道...
一 「あら、なつかしの文字」 玄徳は、孔明の書簡をひらくと、まずその墨の香、文字の姿に、眸を吸われてから、読み入った。 龐統はその側にいた。 側に人のいるのも忘れて、玄徳は繰り返し繰り返し、孔明の書簡に心をとられて...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 実に、とんでもない漢を、推薦してしまったというほかはない。人の推挙などというものは、うっかりできないものである――と、ひとり恐れ悔いて、当惑の色ありありと見えたのは、禰衡を推挙した孔融であった。 その日、そのせいか、孔融...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
一 蔡瑁と蔡夫人の調略は、その後もやまなかった。一度の失敗は、却ってそれをつのらせた傾きさえある。 「どうしても、玄徳を除かなければ――」と、躍起になって考えた。 けれども肝腎な劉表がそれを許さない。同じ漢室の裔ではある...
一 このとき丞相府には、荊州方面から重大な情報が入っていた。 「荊州の玄徳は、いよいよ蜀に攻め入りそうです。目下、彼の地では活溌な準備が公然と行われている」 曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入ったら、淵の龍が...
一 亡国の最後をかざる忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。 審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。 「せめて、故主の城址に、その屍でも葬ってやろう」 冀州の城北に、墳を建て、彼は手厚く祠られた。 建安九...
一 曹操は、侍者に起されて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりの頃である。 「何か」と、帳を払って出ると、 「城中より侯成という大将が降を乞うて出で、丞相に謁を賜りたいと陣門にひかえております」 と、侍者は...
一 一方、孫乾は油江口にある味方の陣に帰ると、すぐ玄徳に、帰りを告げて、 「いずれ周瑜が自身で答礼に参るといっておりました」と、話した。 玄徳は、孔明と顔見合わせて、 「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るという...
一 呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。 さしも長い年月、ここに、 (江夏の黄祖あり) と誇っていた地盤も、いまは痕かたもなく呉軍の蹂躙するところとなった。 城...
一 張飛は、不平でたまらなかった。――呂布が帰るに際して、玄徳が自身、城門外まで送りに出た姿を見かけたので、なおさらのこと、 「ごていねいにも程がある」と、業腹が煮えてきたのであった。 「家兄。お人よしも、度が過ぎると、馬...