冒頭 公台(こうだい)とは、陳宮(ちんきゅう)の字(あざな)です。曹操が董卓暗殺未遂ののち逃亡する途上で、陳宮が名乗って同行し、官を棄てて義兵を集めようとする場面で「陳宮 字を公台という者」と示されます。 生涯 吉川...
冒頭 泰山(たいざん)とは、中国山東(さんとう)地方を代表する山岳で、吉川英治『三国志』では周辺一帯を含む地理的呼称としても用いられ、泰山の名を冠した官職や賊勢力が作中に現れます。 概要 作中では「泰山の太守」応劭(...
冒頭 封禅(ほうぜん)とは、天子が泰山などの名山で天と地に祭祀を行い、天下統治の正当性と太平を奉告する国家的な大典です。「封」は泰山の頂で天に告げて土を封じる儀、「禅」は山の麓で地に報いて祭る儀を指し、両者を合わせて封禅といい...
冒頭 臧覇(ぞうは)とは、泰山の兵を背景に呂布の麾下で動き、のち曹操方の将としても名が挙がる武人です。呂布陣営では陳宮と並ぶ「二大将」として用いられ、小沛攻略の命を受けるなど、徐州をめぐる攻防の一角を担います。 生涯 ...
済北(せいほく)とは 後漢時代の郡名で、現在の山東省済南市周辺にあたる地域。泰山の北側に位置し、黄河流域の交通と農耕の要衝であった。 歴史 済北郡は前漢の頃に設置され、後漢時代にも存続した。山東一帯は文化・経済の中心...
一 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道...
一 江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、 小覇王孫郎 の位置は、確固たるものになった。 諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろ...
一 今は施すすべもない。なにをかえりみているいとまもない。業火と叫喚と。 そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。 火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。 ...
一 次の日の朝まだき。 徐庶は小鳥の声とともに邸を出ていた。ゆうべは夜もすがら寝もやらずに明かしたらしい瞼である。今朝、新野の城門を通った者では、彼が一番早かった。 「単福ではないか。いつにない早い出仕。何事が起ったのか...
一 洛陽の余燼も、ようやく熄んだ。 帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。 何太后は、帝を迎えると、 「おお」 と、共に相擁したまま、しばらくは嗚咽にむせんでいた。 そして太后はすぐ、 ...
一 「あっ、何だろう?」 宿直の人々は、びっくりした。真夜半である。燭が白々と、もう四更に近い頃。 寝殿の帳裡ふかく、突然、孫策の声らしく、つづけさまに絶叫がもれた。すさまじい物音もする。 「何事?」と、典医や武士も...
一 孔明の家、諸葛氏の子弟や一族は、のちに三国の蜀、呉、魏――それぞれの国にわかれて、おのおの重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と、孔明そのものの為人を知っておくのも、決してむだではなか...
一 太史丞の許芝は、曹操の籠る病室へ召された。 曹操は、起きていたが、以来、何となくすぐれない容態である。 「許都に、卜の上手がいたな。どうも今度の病気はちとおかしい。ひとつ卜者に見てもらおうと思うのだが」 「大王、...
一 「えっ、荊州が陥ちた?」 関平は戦う気も萎え、徐晃をすてて一散に引っ返した。混乱するあたまの中で、 「ほんとだろうか? まさか?」 と、わくわく思い迷った。 そして堰城近くまで駈けてくると、こはいかに城は濛...
一 城兵の士気は甦った。 孤立無援の中に、苦闘していた城兵は、思わぬ劉玄徳の来援に、幾たびも歓呼をあげてふるった。 老太守の陶謙は、「あの声を聞いて下さい」と、歓びにふるえながら、玄徳を上座に直すと、直ちに太守の佩印を...
一 本来、この席へ招かれていいわけであるが、孔明には、玄徳が来たことすら、聞かされていないのである。 以て、周瑜の心に、何がひそんでいるか、察することができる。 「……?」 帳の外から宴席の模様をうかがっていた孔明...
一 蜀軍の武威は大いに振った。行くところ敵なきその形容はまさに、原書三国志の記述に髣髴たるものがうかがわれる。 ――蜀ノ建興五年冬、孔明スデニ天水、南安、安定ノ三郡ヲ攻取リ、ソノ威、遠近ヲ靡カセ、大軍スデニ祁山ニ出デ、渭水ノ西ニ...
一 そこを去って、蕭関の砦を後にすると、陳登は、暗夜に鞭をあげて、夜明け頃までにはまた、呂布の陣へ帰っていた。 待ちかねていた呂布は、 「どうだった? ……蕭関の様子は」と、すぐ糺した。 陳登はわざと眉を曇らして、...
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...