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New Word秋風陣
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
檻車
一 義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。 (よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはも...
天颷_一
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
天颷
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
張角
張角(ちょうかく)とは、中国後漢末期に「黄巾の乱」の指導者として知られる人物です。 生涯 張角は後漢末期、幽州鉅鹿郡(現在の中国河北省一帯)出身とされ、兄弟に張宝・張梁がいます。彼は民間で道教的な宗教指導者として信仰を集め、「太...
転戦
一 それより前に、関羽は、玄徳の書をたずさえて、幽州涿郡(河北省・涿県)の大守劉焉のもとへ使いしていた。 太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂で接見した。 関羽は、礼をほどこして後、 「太守には今、士を四...
巫女
一 「なに、無条件で和睦せよと。ばかをいい給え」 郭汜は、耳もかさない。 それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪について来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。 「これは乱暴だ。和議の媒介に参...
乱兆
一 時は、中平六年の夏だった。 洛陽宮のうちに、霊帝は重い病にかかられた。 帝は病の篤きを知られたか、 「何進をよべ」 と、病褥から仰せ出された。 大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して...
張宝
張宝(ちょうほう)とは、後漢末期の中国に活動した人物で、特に「黄巾の乱」の指導者のひとりとして知られている。 生涯 張宝は、張角の弟で、もうひとりの兄弟とともに後漢末期の民衆反乱「黄巾の乱」を主導した。「天地を大いに乱す」という...
十常侍
一 「劉氏。もし、劉氏ではありませんか」 誰か呼びかける人があった。 その日、劉玄徳は、朱雋の官邸を訪ねることがあって、王城内の禁門の辺りを歩いていた。 振向いてみると、それは郎中張均であった。張均は今、参内すると...