張角
張角(ちょうかく)とは、中国後漢末期に「黄巾の乱」の指導者として知られる人物です。
生涯
張角は後漢末期、幽州鉅鹿郡(現在の中国河北省一帯)出身とされ、兄弟に張宝・張梁がいます。彼は民間で道教的な宗教指導者として信仰を集め、「太平道」を唱えて多くの信者を集めました。張角は「大賢良師」と称され、天命によって世を治める存在と自任し、重税や飢饉で苦しむ民衆の心を掴みます。やがて「蒼天已死 黄天当立 歳在甲子 天下大吉」というスローガンのもと、184年に大規模な反乱「黄巾の乱」を起こします。
活躍と最後
黄巾の乱は全国規模の反乱となり、後漢王朝を大いに揺るがしましたが、朝廷の討伐軍によって鎮圧されました。張角自身は病死とされ、兄弟の張宝・張梁もほどなく討たれました。張角の死によって黄巾党は勢力を急速に失いましたが、三国志の動乱の発端をつくった歴史的存在です。
人物
張角は宗教指導者ならではのカリスマと、民衆の苦しみに寄り添う指導力を兼ね備えていました。『三国志』においては人々を扇動し、一大事件を起こした「教祖」として独特の存在感を持っています。
関連する人物
張宝・張梁:ともに張角の弟であり、黄巾の乱の共同指導者。
皇甫嵩・朱儁・盧植:朝廷側の討伐将軍で、張角ら黄巾党鎮圧の中心人物。
劉備・曹操・孫堅など:黄巾の乱討伐軍として初期活躍を見せたのち、三国志の主要人物となる。
有名なエピソード
「太平要術」と呼ばれる書を用いて病を治したり奇跡を見せるなど、民衆の尊敬と信仰を集め、黄巾党が一挙に数十万規模に膨れ上がった話などがあります。また、彼のスローガンは時代の転換点を象徴する言葉として、後世に語り継がれています。
吉川英治の三国志と史実で違う点
吉川英治の三国志小説では張角の宗教的なカリスマ性や劇的な一揆の様子が強調されていますが、史実と比べて小説的な脚色が加わっています。例えば教祖としての威厳や「要術」の神秘性など、物語としての面白さが演出されています。