冒頭 仲康(ちゅうこう)とは、魏の武将・許褚(きょちょ)の字(あざな)です。許褚は譙県(しょうけん)の生まれで、曹操に素性を問われた際みずから「許褚、字は仲康」と名のりました。 生涯 郷里で賊害が深刻化すると、一族や...
冒頭 譙県(しょうけん)とは、沛(はい)に属する県で、曹操の郷里として語られる土地です。 概要 譙県は、曹氏の祖先祭祀や郷里意識と結びつく行政区画として位置づけられます。魏王となった曹丕が、亡父曹操の郷里として譙県を...
冒頭 何儀(かぎ)とは、曹操の勢力圏で騒擾を起こした黄巾賊の残党側に属する賊将の一人です。吉川英治『三国志』では、賊軍の敗走局面で名が挙がり、追撃戦の中で捕縛される存在として描かれます。 生涯 作中では、賊将の黄邵・...
譙郡(しょうぐん)とは 後漢時代に設置された郡の一つで、現在の安徽省亳州市一帯にあたります。 歴史 秦漢以降、この地域は中原と淮河流域をつなぐ要地として栄えました。譙郡は後漢末には重要な軍事・政治拠点となり、乱世に多...
曹操孟徳(そうそう もうとく)とは 曹操は後漢末から三国時代初期にかけて活躍した群雄で、魏の基礎を築いた人物である。字は孟徳(もうとく)。その才能と多面性から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される。 魏王(ぎおう)とは ...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 穴を出ない虎は狩れない。 曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、 「もうその策には乗らない」と、彼は容易に、濮陽から出なかった。 そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあいをくり返し...