広宗(こうそう)とは、後漢末の冀州・鉅鹿郡に属した城邑・県の名であり、黄巾の乱における決定的会戦の舞台として、三国志世界の入口を開く地です。 歴史 黄巾の乱の最終局面で、広宗は張角の弟・張梁、そして天公将軍張角に代わる実戦指揮官...
一 驢は、北へ向いて歩いた。 鞍上の馬元義は、ときどき南を振り向いて、 「奴らはまだ追いついてこないがどうしたのだろう」と、つぶやいた。 彼の半月槍をかついで、驢の後からついてゆく手下の甘洪は、 「どこかで道を...
鉅鹿(きょろく)とは、中国の歴史に現れる地名のひとつである。三国志の物語が展開する時代よりもやや前、またその周辺でも知られている土地である。 鉅鹿は中国・河北省の南部に位置し、漢代には鉅鹿郡という行政単位の中心地であった。戦国時代や...
張角(ちょうかく)とは、中国後漢末期に「黄巾の乱」の指導者として知られる人物です。 生涯 張角は後漢末期、幽州鉅鹿郡(現在の中国河北省一帯)出身とされ、兄弟に張宝・張梁がいます。彼は民間で道教的な宗教指導者として信仰を集め、「太...
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...