鉅鹿
鉅鹿(きょろく)とは、中国の歴史に現れる地名のひとつである。三国志の物語が展開する時代よりもやや前、またその周辺でも知られている土地である。
鉅鹿は中国・河北省の南部に位置し、漢代には鉅鹿郡という行政単位の中心地であった。戦国時代や秦末には特に重要な戦地となっており、有名な「鉅鹿の戦い」は秦末に起こった反乱の中で、楚の項羽が秦の将軍・章邯の大軍を打ち破った歴史的な会戦である。この戦いは秦王朝滅亡の引き金ともなり、中国史において非常に大きな意義を持っている。
三国志本編において鉅鹿が舞台となる主だった場面は少ないものの、多くの将軍や有力者がその出身地や経歴に「鉅鹿」を持つこともあり、地名として物語の中で触れられることがある。
鉅鹿は交通の要所としても知られ、北や南への移動の中継地としても戦略的な価値があった。土地そのものは肥沃で水運も発達し、経済的にも重要な地域であった。戦国~漢初の英雄たちの思い出が強く結びついている土地であり、後世の文学作品や歴史家の記述にもしばしば登場する。
関連する人物として特に有名なのは項羽であり、鉅鹿の戦いの勝利によって彼の名声は大いに高まった。三国志の登場人物では、故郷や戦歴に鉅鹿と縁のある者が時折記されることがあるが、物語を貫く主要な舞台にはなっていない。
鉅鹿は中国の歴史的な地名として、戦いと英雄の記憶が息づく場所である。