丹陽
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わたくしは生涯他家へは嫁ぎません」と、誓った。 この騒動はすぐ呉主孫権の耳へ聞えた。孫権は驚いて、すぐ兵を率いて、丹陽に馳せつけ、 。「わが弟を討った者は、われに弓を引いたも同然である」 。 と、一類の者、ことごとく誅罰した後、あらためて、孫高、傅嬰のふたりを登用し、牙門督兵に任じた。
――君理、どうしたらわしは、何不自由もない今の温床を脱して、生きがいのある苦難と闘う時代の子となれるだろうか」 。「あなたの叔父様に、不運な方があるでしょう。――え、丹陽の太守であった」 。「ウむ。母方の叔父、呉景のことかね」 。
「まるで、凌統を有名にするために、戦いに行ったようなものだ」と、時の人々はいった。 翌九年の冬。 孫権の弟、孫翊は、丹陽の太守となって、任地へ赴いた。 なにしろ、まだ若い上に、孫翊の性格は、短気で激越だった。おまけに非常な大酒家で、平常、何か気に入らないことがあると、部下の役人であろうと士卒であろうと、すぐ面罵して鞭打つ癖があった。