九江
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「九江」登場回数
合計: 7回「九江」が登場する場面
7件呂蒙と陸遜
そのうち十艘ほどは、商船仕立てに装い、商人態に変装した者ばかりが、山なす商品を上に積んで、高々と帆を張りつらね、半日ほど先に江をさかのぼって行った。二。 日を経て、呉の擬装船団は、潯陽江(九江)の北岸へ漂いついた。漆のような闇を風浪の荒ぶ夜であったが、帆をやすめるいとまもなく、 。「何者だっ、どこの船かっ」と、一隊の兵にすぐ発見され、すぐ船を出た七名の代表者は、そのまま彼らの屯営へ拉致されて行った。
大江の魚
劉繇は、揚子江岸の豪族であり、名家である。 血は漢室のながれを汲み、兗州の刺史劉岱は、彼の兄にあたる者だし、太尉劉寵は、伯父である。 そして今、大江の流れに臨む寿春(江西省・九江)にあって、その部下には、雄将が多かった。――それを正面の敵とする孫策の業もまた難い哉といわなければならない。
日時計
その人だった。 主柱たる劉繇が、どこともなく逃げ落ちてしまってからも、彼は、節を変えず、離散した兵をあつめ、涇県の城にたてこもり、依然として抗戦しつづけていた。 きのうは九江に溯江し、きょうは秣陵に下り、明ければまた、涇県へ兵をすすめて行く孫策は、文字どおり南船北馬の連戦であった。「小城だが、北方は一帯の沼地だし、後ろは山を負っている。しかも城中の兵は、わずか二千と聞くが、この最後まで踏み止まっている兵なら、おそらく死を決している者どもにちがいない」 。
神亭廟
「君たちは、一体、誰かね」 。 孫策が、訊ねると、大鼻の黒面漢が、先に答えた。「おれたち二人は、九江の潯陽湖に住んでいる湖賊の頭で、自分は公奕といい、ここにいるのは弟分の幼平という奴です」 。「ホ、湖賊。」 。
群英の会
「おう、幹公か。足下は周瑜と親交でもあるのか」 。「それがしは九江の生れなので、周瑜とは郷里も近く、少年時代から学窓の友でした」 。「それはよい手がかりだな。もし呉から周瑜をはずせば、呉軍は骨抜きになる。
舌戦
魯粛はかえって赤面した。とうてい他人の入れ智慧などにうごかされる人物ではないとみて、魯粛もその後は口をつつしんだ。 やがて船は潯陽江(九江)の入江に入り、そこから陸路、西南に鄱陽湖を望みながら騎旅をすすめた。 そして柴桑城街につくと、魯粛は孔明の身をひとまず客館へ案内して、自身はただちに城へ登った。 府堂のうちでは折しも文武の百官が集まって、大会議中のところだった。
蜂と世子
それをどんどん鄱陽湖にあつめ、周瑜が水軍大都督となって、猛演習をつづけている。 孫権自身もまた、それに晏如としてはいなかった。叔父の孫静に呉会を守らせて、鄱陽湖に近い柴桑郡(江西省・九江西南)にまで営をすすめていた。 その頃。 玄徳は新野にあって、すでに孔明を迎え、彼も将来の計にたいして、準備おさおさ怠りない時であった。