蜀山遠し
ひとたびその荊州の足場を失っては、さすがの関羽も、末路の惨、老来の戦い疲れ、描くにも忍びないものがある。全土の戦雲今やたけなわの折に、この大将星が燿として麦城の草に落命するのを境として、三国の大戦史は、これまでを前三国志と呼ぶべく、これから先を後三国志といってもよかろうと思う。「後三国志」こそは、玄徳の遺孤を奉じて、五丈原頭に倒れる日まで忠涙義血に生涯した諸葛孔明が中心となるものである。出師の表を読んで泣かざるものは男児に非ずとさえ古来われわれの祖先もいっている。誤りなく彼も東洋の人である。
出師の巻
本文
三国志