南郡
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趙雲は、畏まって、退がりかけたが、また踵をかえして、こう質問した。「烏林には、二すじの道があります。一条は南郡に通じ、一条は荊州へ岐れている。曹操は、そのいずれへ走るでしょうか」 。「かならず、荊州へ向い、転じて許都へ帰ろうとするだろう。
この二条の道は、どっちへ向ったがよいか」 。 曹操の質問に、 。「いずれも南郡へ通じていますが、道幅の広い大道のほうは五十里以上も遠道になります」 。 と、地理にくわしい者が答えた。 曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」と、相顧みて、しばし凋然としてしまった。 この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。 曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、 。「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたこ...
「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るというのはおかしい。何のために来るのであろう」 。「もちろん、南郡の城が気にかかるので、こちらの動静を見に来るのでしょう」 。「もし兵を率いて来たらどうしようか」 。「ご心配はありません。
一。 荊州、襄陽、南郡三ヵ所の城を一挙に収めて、一躍、持たぬ国から持てる国へと、その面目を一新しかけてきた機運を迎えて、玄徳は、 。「ここでよい気になってはならぬ――」と、大いに自分を慎んだ。「亮先生」 。
二人は手を打って、快笑した。 けれど魯粛はその後で、せっかく上機嫌な呉侯に、ちといやな報告もしなければならなかった。 それは、周瑜が金創の重態で仆れたことと、荊州、襄陽、南郡の三要地を、玄徳に取られたことの二つだった。「ふふむ……周瑜の容態は、再起もおぼつかない程か」 。「いや、豪気な都督のことですから、間もなく、以前のお元気で恢復されることとは思いますが……」 。
……ですから丞相には早速許都へお帰りあって、まず呉の使いの華欽にお会い遊ばし、華欽を当分、呉へ帰さないことです」 。「そして」 。「別に勅を仰いで、周瑜を南郡の太守に封じます。また程普を江夏の太守とします。――江夏、南郡ともに今なお玄徳の領有している所ですから、これを呉使華欽に伝えてもおそらくお受けしますまい。