南郡
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「南郡」登場回数
合計: 53回「南郡」が登場する場面
7件一掴三城
「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るというのはおかしい。何のために来るのであろう」 。「もちろん、南郡の城が気にかかるので、こちらの動静を見に来るのでしょう」 。「もし兵を率いて来たらどうしようか」 。「ご心配はありません。
不倶戴天
すなわち魯粛の書簡を持って、使いは荊州へ急いでゆく。 玄徳はそれを披見して、ひとまず使者を客館にもてなしておき、その間に、孔明が帰るのを待っていた。 南郡地方にいた孔明は、召しをうけるや馬を飛ばして帰ってきた。そして、玄徳から、仔細を聞き、また魯粛の書簡を見ると、 。「ご返辞は」と、玄徳の面をうかがった。
功なき関羽
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」と、相顧みて、しばし凋然としてしまった。 この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。 曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、 。「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたこ...
孔明を呼ぶ
この本営には、櫛の歯をひくような急変の報らせが、呉国の諸道から集まってきた。すなわちいう、 。「魏の大軍が、三路にわかれ、一道は曹休軍が洞口に進出し、曹真は南郡の境に迫り、曹仁ははや濡須へ向って、雲霞の如く南下しつつあります」――と。「果たして。」と、陸遜は手を打って、自分の明察の過たなかったことを自ら祝し、また呉国のために、大幸なりしよと、すぐさま対戦の姿勢をとった。
山谷笑う
この二条の道は、どっちへ向ったがよいか」 。 曹操の質問に、 。「いずれも南郡へ通じていますが、道幅の広い大道のほうは五十里以上も遠道になります」 。 と、地理にくわしい者が答えた。 曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。
成都陥落
孔明がすべてを取り計らった。即ち劉璋を振威将軍に封じ、妻子一族をつれて、荊州へ赴くようにという令をくだしたのであった。 ここに劉璋は蜀を去って、荊州の南郡に移り、まったくその地位と所をかえて余生する身となった。 玄徳は次に、恩爵授与の大令を発した。譜代の大将部将幕賓はもちろん、降参の諸将にまでその封爵と行賞はあまねくゆきわたった。
文武競春
……ですから丞相には早速許都へお帰りあって、まず呉の使いの華欽にお会い遊ばし、華欽を当分、呉へ帰さないことです」 。「そして」 。「別に勅を仰いで、周瑜を南郡の太守に封じます。また程普を江夏の太守とします。――江夏、南郡ともに今なお玄徳の領有している所ですから、これを呉使華欽に伝えてもおそらくお受けしますまい。