夷陵
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「夷陵」登場回数
合計: 31回「夷陵」が登場する場面
7件この一戦
崔禹は生捕られ、部下は大打撃をうけて、なだれ帰ってきた。朱然は周章して、その晩のうちに船手の総勢を、五、六十里ほど下へさげてしまった。 一度ならず二度まで敗北した孫桓は、陣営ことごとく敵に焼かれて、無念のまなじりをあげながらやむなく夷陵の城(湖北省・宜都、宜昌の東北)へ退却した。 蜀は仮借なくこれを追い込み、崔禹の首を刎ねて、いよいよ威を示した。そして序戦二回の大敗報は、やがて呉の建業城中を暗澹とさせた。
一掴三城
諫めたのは、甘寧である。 甘寧は、説いた。「南郡と掎角の形勢を作って、一方、夷陵の城も戦備をかためています。そしてそこには、曹仁と呼応して、曹洪がたて籠っていますから、うかつに南郡だけを目がけていると、いつ如何なる変を起して、側面を衝いてくるかもしれません」 。「――では、どうしたがいいか」 。
一書生
諸人は黙然としてただ仏頂面をそむけていた。するとその不満組の一人たる周泰がすこしすすんで将台の上へ呼びかけた。「さきに前線へ来て悪戦苦闘を続けておられたわが呉王の甥君たる孫桓は、先頃から夷陵の城に取り籠められ、内に兵糧なく、外は蜀兵に遮断されておる。いま大都督の幸いにこれに臨まれた上は、一日もはやく妙計をめぐらして、まず孫桓を救い出し、もって呉王のお旨を安め奉り、あわせてわれらの士気を昂揚されたい。――借問す、大都督には、かかる大計をお持ちなりや」 。
冬将軍
一。 冬が来た。 連戦連勝の蜀軍は、巫峡、建平、夷陵にわたる七十余里の戦線を堅持して、章武二年の正月を迎えた。 賀春の酒を、近臣に賜うの日、帝玄徳も微酔して、 。「雪か、わが鬢髪か。
山谷笑う
後ろにいた張顗は、驚いて、 。「さては呉の大将か」と、槍をひねって、突きかかったが、それも甘寧の敵ではなかった。 眼の前で、張顗、馬延の討死を見た曹操は、甘寧の勇にふるえあがって、さしかかって来た南夷陵の道を避け、急に、西へ曲がって逃げ走った。 幸いに、彼を探している残軍に出会ったので、 。「あとから来る敵を防げ」と、馬も止めずに命じながら、鞭も折れよと、駈けつづけた。
石兵八陣
程畿は髪を風に立てて、 。「われ君に従って今日まで、戦いに出て逃ぐるを知らず、敵に会っては敵を打ち砕く以外を知らない」と怒号して答え、四角八面に馬を躍らせて、これまた、自ら首を刎ねて見事な最期を遂げてしまった。 蜀の先鋒張南は、久しく夷陵の城を囲んで、呉の孫桓を攻めたてていたが、味方の趙融が馬を飛ばしてきて、 。「中軍が敗れたので、全線崩れ立ち、帝のお行方もわからない」と、告げて来たので、 。「すわ」とにわかに囲みを解き、玄徳のあとをたずねて、中軍に纏まろうとしたが、 。
降参船
「兵三千をひいて、烏林へ渡り、甘寧と一手になって、力戦を扶けろ」 。 と命じ、第四の凌統へは、 。「夷陵の境にあって、烏林に火のかかるのを見たら、すぐ喚きかかれ」 。 と、それへも兵三千をあずけ、さらに、董襲へは、漢陽から漢川方面に行動させ、また潘璋へも同様三千人を与えて、漢川方面への突撃を命じた。 こうして、先鋒六隊は、白旗を目じるしとして、早くも打ち立った。