冒頭 幼平(ようへい)とは、呉の武将・周泰(しゅうたい)の字(あざな)で、孫策・孫権兄弟に仕えた将です。作中では、九江の潯陽湖に拠る湖賊の一人として蒋欽(字・公奕)と連れ立って孫策の前に現れ、「弟分の幼平」と名乗ります。 生...
冒頭 永安宮(えいあんきゅう)とは、吉川英治『三国志』で、時期により二つの場所を指して用いられる宮殿名です。後漢末には董卓が廃帝(弘農王)と何太后を幽閉した洛陽の宮中の一郭をいい 、蜀漢では夷陵敗戦後の劉備が白帝城に退いてから...
冒頭 夷陵の戦い(いりょうのたたかい)とは、蜀の帝玄徳(劉備)が呉を討って長江上流の夷陵方面へ進軍し、呉の大都督陸遜の用兵によって蜀軍が大敗して戦局が決した一連の会戦です。蜀軍は巫峡・建平・夷陵にわたる戦線を維持して章武二年の...
冒頭 韓当(かんとう)とは、孫堅・孫策・孫権の孫氏三代に仕えた呉の武将で、水軍戦や前線の戦闘で働く宿将です。孫策の出立に従う程普・黄蓋らの一人として挙げられます 。 生涯 孫堅の荊州攻略では、黄祖軍の張虎と刃を交え、...
冒頭 朱然(しゅぜん)とは、呉に属した将で、荊州攻略から夷陵の戦いにかけて水軍・陸戦の両面で用いられる人物です。呉の側では、呂蒙の指揮下で敵城への圧力や遊軍の運用を担い、また関羽追討の局面にも姿を見せます。 生涯 作...
張飛翼徳(ちょうひ よくとく)とは 劉備玄徳に仕えた義兄弟のひとりで、字は翼徳。三国志のなかでも豪放磊落な性格と勇猛な戦いぶりで知られる名将。 生涯 涿郡の出身。劉備・関羽と出会い、桃園で義兄弟の契りを結んだ。黄巾の...
劉備玄徳(りゅうび げんとく)とは 劉備玄徳は、三国志の主要人物の一人であり、蜀漢の建国者で初代皇帝(昭烈帝)となった人物である。字は玄徳。後漢の宗室の末裔を自称し、仁義を重んじた姿勢から「仁君」として広く知られる。吉川英治『...
劉備(りゅうび)とは 劉備は、中国三国時代の蜀(しょく、蜀漢)の初代皇帝となった人物です。三国志の物語世界において最も親しまれている英雄の一人であり、その生き様は現代に至るまで多くの読者の共感を呼び続けています。 生涯 劉備は...
一 「この大機会を逸してどうしましょうぞ」 という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、 「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。 「甘寧にござりますが」 「おお、来たか」 ...
一 程秉は逃げ帰るように急いで呉国へ引き揚げた。その結果、ふたたび建業城中の大会議となって、閣員以下、呉の諸将は、今さらの如く蜀の旺盛な戦意を再認識して、満堂の悽気、恐愕のわななき、おおうべくもなかった。 「諸員。何をか恐れる...
一 八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。 溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって斃れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞か...
一 全軍ひとたび総崩れに陥ちてからは、七百余里をつらねていた蜀の陣々も、さながら漲る洪水に分離されて浮島のすがたとなった村々と同じようなもので、その機能も連絡も失ってしまい、各個各隊思い思いに、呉の滔々たる濁水の勢いと闘うのほかな...
一 その後、蜀の大軍は、白帝城もあふるるばかり駐屯していたが、あえて発せず、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と江北の動静をうかがっていた。 ときに諜報があって、 「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を...
一 一方、孫乾は油江口にある味方の陣に帰ると、すぐ玄徳に、帰りを告げて、 「いずれ周瑜が自身で答礼に参るといっておりました」と、話した。 玄徳は、孔明と顔見合わせて、 「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るという...
一 冬が来た。 連戦連勝の蜀軍は、巫峡、建平、夷陵にわたる七十余里の戦線を堅持して、章武二年の正月を迎えた。 賀春の酒を、近臣に賜うの日、帝玄徳も微酔して、 「雪か、わが鬢髪か。思えば朕も老いたが、また帷幕の諸大将...