官渡
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この分ではいずれ内変が起るやも知れん」 。 彼は、そう見通しをつけたので、一軍をひいて、許都へ帰ってしまった。 ――といっても、もちろん後には、臧覇、李典、于禁などの諸大将もあらかた留め、曹仁を総大将として、青州徐州の境から官渡の難所にいたるまでの尨大な陣地戦は、そのまま一兵の手もゆるめはしなかった。ただ機を見るに敏な彼は、 。「予自身、ここにいても、大した益はない」 。
玄徳もまた徐州の要地をしめ、下邳、小沛の城と掎角の備えをもち、これも小勢力ながら、簡単に征伐はできないかと思われまする」 。「そう難しく考えたら、いずれの敵にせよ、みな相当なものだから、どっちへも手は出まい」 。「河北の袁紹なくんば憂いはありませんが、袁紹の国境軍は、過日来、官渡のあたりに、いよいよ増強されておるようです。丞相の大敵は、何といっても彼で、彼こそ今、丞相と天下を争うものでしょう」 。「だから、その手足たる玄徳を、先に徐州へ攻めようと思うのだが」 。
袁紹を諫めて、 。「どうも、文醜の用兵ぶりは、危なくて見ていられません、機変も妙味もなく、ただ進めばよいと考えているようです。――いまの上策としては、まず官渡(河南省・開封附近)と延津(河南省)の両方に兵をわけて、勝つに従って徐々に押しすすむに限りましょう。それなら過ちはありません。――それをば軽忽にも黄河を打渡って、もし味方の不利とでもなろうものなら、それこそ生きて帰るものはないでしょう」 。
すると、後方の湖を渡って、曹操の軍が退路を断つと聞えたので、あわてて後陣へ退き、その後陣も危なくなったので、またも十数里ほど退却した。 その頃、袁紹の救いがようやく河を渡って来た。で、合流して一時、官渡の地へひき移った。四。 郭図、審配の二大将は、憤々と、袁紹の前に告げていた。
「まず、曹操を打倒せよ」 。 令に依って。 冀州、青州、并州、幽州、など河北の大軍五十万は官渡(河南省・開封附近)の戦場へ殺到した。 袁紹も、曠のいでたちを着飾って、冀北城からいざ出陣と馬をひかせると、重臣の田豊が、 。「かくの如く、内を虚にして、みだりにお逸りあっては、かならず大禍を招きます。
歓んで君の言を聞こう。……まず、袁紹を破る計があるなら予のために告げたまえ」 。「実は、自分が袁紹にすすめたのは、今、軽騎の精兵五千をひっさげて、間道の嶮をしのび越え、ふいに許都を襲い、前後から官渡の陣を攻めようということでござった。――ところが、袁紹は用いてくれないのみか、下将の分際で僭越なりと、それがしを辛く退けてしまった」 。 曹操はおどろいて、 。
「もし田豊の諫めをお用いになっていたら、こんな惨めは見まいものを」 。 と、部落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。 それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、寥々の破旗悲風に鳴り、民の怨嗟と哀号の的になった。「田豊。……ああそうだった。