成都
別名
成都城
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四川の名は、それに起因る。河川流域の盆地は、米、麦、桐油、木材などの天産豊かであり、気候温暖、人種は漢代初期からすでに多くの漢民族が入って、いわゆる巴蜀文化の殷賑を招来していた。その都府、中心地は、成都である。 ただこの地方の交通の不便は言語に絶するものがある。北方、陝西省へ出るには有名な剣閣の嶮路を越えねばならず、南は巴山山脈にさえぎられ、関中に出る四道、巴蜀へ通ずる三道も嶮峻巍峨たる谷あいに、橋梁をかけ蔦葛の岩根を攀じ、わずかに人馬の通れる程度なので、世にこれを、 。
実に遠い旅行だった。張松は日を経て、ようやく故国益州へ帰ってきた。 すでに首都の成都(四川省・成都)へ近づいてきた頃、道のかたわらから、 。「やあ、ようこそ」 。「ご無事で何よりだった」 。
孟達も、眼をもって意中の会釈をした。 さきに法正がもたらした返辞によって、玄徳が来援を承諾したと聞き、大守劉璋は無性に歓んでいたらしく、道々の地頭や守護人に布令て、あらゆる歓待をさせた。 そのうえ彼自身、成都を出て、涪城(四川省・重慶の東方)まで出迎えると、車馬、武具、幔幕など、ここを晴と準備していた。「危険です。見ず知らずな国から来た五万の軍中へ、自らお出であるなどとは」 。
「同宗のよしみと、こんどのことを恩にきせて、ともあれそれくらいな要求をしてみると、劉璋の心底も見当がつきましょうし、巧く望みどおりの力を貸してくれれば、そのあとで龐統にもいささか策がありますから」 。「それもよかろう」 。 使者は、成都へ向って行った。 途中、涪水関(重慶の東方)にかかると、その日も、山上の関門から手をかざして、麓の道を監視していた番兵が、 。「玄徳の部下らしく、小旗を持った荊州の使者が、今これへかかって来ます。
玄徳、涪城を取って、これに拠る。――と聞えわたるや、蜀中は鳴動した。 とりわけ成都の混乱と、太守劉璋の愕きかたといったらない。「料らざりき、今日、かくの如きことあらんとは」 。 と、痛嘆する一部の側臣を尻目にかけ、劉※、冷苞、張任、鄧賢などは、 。
「不肖、それがしもまた、少しは天文を心得ています。暦数を考えるに、必ずしも今年は皇叔にとって大吉ではありませんが、さりとて悪年では決してない。また恒星西方にあることも知っていますが、それはやがて皇叔が成都に入るの兆しです。むしろ速やかに、兵をおすすめあれ。いつまで魏延、黄忠を涪水の線に立たせておくは下策です」 。
「どうか、その人々と、ともに交わって、蜀の民を安んじてやって下さい」 。「君も味なことをいう男だ」 。 厳顔は張飛の恩に感じて、ついに降伏をちかい、成都に入る計を教えた。「ここから雒城までの間だけでも、途中の関門には、大小三十七ヵ所の城がある。力業で通ろうとしたら百万の兵をもって三年かかっても難しいであろう。