日本
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=読者へ 。 作家として、一言ここにさし挟むの異例をゆるされたい。劉安が妻の肉を煮て玄徳に饗したという項は、日本人のもつ古来の情愛や道徳ではそのまま理解しにくいことである。われわれの情美感や潔癖は、むしろ不快をさえ覚える話である。 だから、この一項は原書にはあっても除こうかと考えたが、原書は劉安の行為を、非常な美挙として扱っているのである。
そして、ひとたび、呉のうごきに、何か異変があると見るや、まず第一の監視所の阜から烽火を揚げる――夜ならば曳光弾を揚げる――第二の監視所はそれを知るやまたすぐ同様に打ち揚げる。 第三、第四、第五、第六――というふうに、一瞬のまにその烽火が次々の空へと走り移って、数百里の遠くの異変も、わずかなうちにそれを本城で知り得るという仕組なのである。 この「つなぎ烽火」の制は、日本の戦国時代にも用いられていたらしい。年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報によって...
出師の表を読んで泣かざるものは男児に非ずとさえ古来われわれの祖先もいっている。誤りなく彼も東洋の人である。以て今日の日本において、この新釈を書く意義を筆者も信念するものである。ねがわくは読者もその意義を読んで、常に同根同生の戦乱や権変に禍いさるる華民の友国に寄する理解と関心の一資ともしていただきたい。二。
孔明の死する前後を描くにあたって、原書三国志の描写は実に精細を極めている。そしてその偉大なる「死」そのものの現実を、あらゆる意味において詩化している。 この国にあるところの不死の観念と、やがて日本の詩や歌や「もののあわれ」に彩られた人々の生死観とでは、もちろん大きな相違があるが、とまれ諸葛孔明の死に対しては、当時にあってもその蜀人たると魏人たるを問わず、何らか偉大なる霊異に打たれたことは間違いなく、そして原三国志の著者までが、何としても彼を敢えなく死なすに忍びなかったようなものが、随所その...