梁父
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――徐庶、もっとつまびらかに語り給え」 。「その人の生地は瑯琊陽都(山東省・泰山南方)と聞き及んでおります。漢の司隷校尉、諸葛豊が後胤で、父を諸葛珪といい、泰山の郡丞を勤めていたそうですが、早世されたので、叔父の諸葛玄にしたがって、兄弟らみなこの地方に移住し、後、一弟と共に、隆中に草廬をむすび、時に耕し、時に書をひらき、好んで梁父の詩をよく吟じます。家のあるところ、一つの岡をなしているので里人これを臥龍岡とよび、またその人をさして臥龍先生とも称しています。――すなわち、諸葛亮字は孔明。
……突としてここに宇宙からおり立つ神人はないか。忽として、地から湧いて立つ英傑はないか」 。 やがて、日が暮れると、若い孔明は、梁父の歌を微吟しながら、わが家の灯を見ながら山をおりて行く――。 歳月のながれは早い。いつか建安十二年、孔明は二十七歳となっていた。
身には狐の皮衣をまとい、酒をいれた葫蘆を、お供の童子に持たせてくる。 籬の角から渓へのぞんで、寒梅の一枝が開きかけていた。 老翁はそれを仰ぐと、興をもよおしたらしく、声を発して、梁父の詩を吟じた。一夜北風寒し 。万里彤雲厚く 。