永昌
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金色燦爛として、印面には、八字の篆文が刻してある。すなわちこう読まれた。 受命于天 既寿永昌 。 孔明はひと目見るやたいへん驚いて、 。「これこそ、ほんとうの伝国の玉璽である。
「うむ。第二路は」 。「遠く、南蛮国へ密簡を送り、国王孟獲に、将来大利ある約束を与え、蛮兵十万を催促して、益州の永昌、越雋などへ働かせ、南方より蜀中を脅かさしめる――これ二路であります」 。 仲達の雄弁は、陳べるに従って懸河のごときふうがあった。「第三路は、すなわち隣好の策を立てて、呉をうごかし、両川、峡口に迫らせ、第四路には、降参の蜀将孟達に命じ、上庸を中心とする十万の兵をもって涪城を取らしめます。
けれどこういう楽土安民のすがたも四隣の情勢に依っては、またたちまち軍国のあわただしさにかえらざるを得ない。時に、南方から頻々たる早馬が成都に入って、 。「南蛮国の王孟獲が、辺境を犯して、建寧、牂※、越雋の諸郡も、みなこれと心を合わせ、ひとり永昌郡の太守王伉だけが、忠義を守って、孤軍奮闘中ですが、いつそれも陥ちるか知れない情勢です」と、急を伝えた。 このときの孔明は実に果断速決であった。その日に朝へ出て、後主劉禅に謁し、 。
一。 益州の平定によって、蜀蛮の境をみだしていた諸郡の不良太守も、ここにまったくその跡を絶った。 従って、孔明の来るまで、叛賊の中に孤立していた永昌郡の囲みも、自ら解けて、太守王伉は、 。「冬将軍が去って、久しぶりに春の天日を仰ぐような心地です」 。 と、感涙に顔を濡らしながら城門をひらいて、孔明の軍を迎え入れた。
名づけて「饅頭」とよび慣わしてきた遺法は、瀘水の犠牲より始まるもので、その案をなした最初のものは孔明であったという伝説もあるが、さて、どんなものか。 ともあれ、帰還の途にあっても、なお彼が、そういう土地土地の土俗の風や宗教的心理を採りあげて、徳を布き、情になずませることを、夢寐にも忘れずにあったということは、単なる征夷将軍の武威一徹とは大いに異なるものがある。 浪静かに、祭文の声、三軍の情をうごかし、心なき蛮土の民を哭かしめつつ、彼の三軍はすでにして永昌郡まで帰ってきた。「ご辺らも、長らく...
程普は、炬火のそばへ、玉璽を持って行って、それに彫ってある篆字の印文を読んで聞かせた。受命于天 。既寿永昌。「……とございましょうが」 。「むむ」 。