江陵
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「江陵」登場回数
合計: 22回「江陵」が登場する場面
7件一帆呉へ下る
そして何らの異変もないと確かめて後、玄徳や孔明、劉琦などは前後して入城した。 こうして、すでに長蛇を逸し去った曹操は、ぜひなく途中に軍の行動を停止して、各地に散開した追撃軍を漢水の畔に糾合したが、 。「他日、玄徳が江陵に入っては一大事である」 。 と、さらに湖南へ下ってそこを奪い、一部の兵を留めて、すぐ荊州へ引っ返してきた。 荊州には、鄧義とか劉先などという旧臣が守っていたが、もう幼主劉琮は殺され、襄陽はおち、軍民すべて曹操の下に服してしまっているので、 。
亡流
おそらく同士打ちを起しているのでしょう。しかし、入るべからずです。道をかえて江陵(湖北省・沙市、揚子江岸)へ行きましょう」 。「えっ、江陵へ。」 。
功なき関羽
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」と、相顧みて、しばし凋然としてしまった。 この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。 曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、 。「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたこ...
小覇王
最後の一策として試みた奇襲も惨敗に帰したばかりか、たのみとしていた干糜、樊能の二将まで目のまえで孫策のために殺されてしまったので、劉繇は、 。「もう駄目だ」と、力を落して、わずかな残兵と共に、荊州へ落ちて行った。 荊州(湖北省・江陵・揚子江流域)には一方の雄たる劉表がなお健在である。 劉繇は始め、秣陵へ退いて、陣容をたて直すつもりだったが、敗戦の上にまた敗北を重ねてしまい、全軍まったく支離滅裂となって、彼自身からして抗戦の気力を失ってしまったので、 。「この上は、劉表へすがろう」とばか...
殺地の客
数千の兵船が、舳艫をならべて遡航しつつあるとのこと。また、三江の江岸一帯、前代未聞の水寨を構築しています。さらに、北岸の形勢をうかがうに、魏の曹操は、百万に近い大軍をもって、江陵、荊州地方から続々と行動を起し、水陸にかけて真黒な大軍団が、夜も昼も、南へ南へと移動しつつあります」と、あった。 玄徳はその報告の半ばまで聞かないうちに、もう脈々たる血のいろを面にあらわし、 。「さては、わが策成れり」 。
母子草
「何じゃ、そんなに急を要することとは」 。「玄徳以下の者が、ここを逃げ去ってから、もう十日余りとなります。彼らがもし江陵の要害に籠り、そこの金銀兵糧などを手に入れたら如何なさいますか」 。「あっ、そうだ。」 。
烽火台
――あとは人の問題ですが」 。 王甫はやがて襄陽へ戻ってきて、関羽に告げた。「江陵方面の守備は、糜芳、傅士仁のふたりですが、ちと、如何と案じられます。荊州の留守をしている潘濬も、とかく政事にわたくしの依怙が多く、貪欲だといううわさもあって、おもしろくありません。烽火台はできてもそれを司る人に人物を得なければ、かえって平時の油断を招き、不時の禍いを招く因とならぬ限りではありませんからな」 。