涪城
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孟達も、眼をもって意中の会釈をした。 さきに法正がもたらした返辞によって、玄徳が来援を承諾したと聞き、大守劉璋は無性に歓んでいたらしく、道々の地頭や守護人に布令て、あらゆる歓待をさせた。 そのうえ彼自身、成都を出て、涪城(四川省・重慶の東方)まで出迎えると、車馬、武具、幔幕など、ここを晴と準備していた。「危険です。見ず知らずな国から来た五万の軍中へ、自らお出であるなどとは」 。
一。 葭萌関を退いた玄徳は、ひとまず涪城の城下に総軍をまとめ、涪水関を固めている高沛、楊懐の二将へ、 。「お聞き及びのとおり、にわかに荊州へ立ち帰ることとなった。明日、関門をまかり通る」 。
一。 玄徳、涪城を取って、これに拠る。――と聞えわたるや、蜀中は鳴動した。 とりわけ成都の混乱と、太守劉璋の愕きかたといったらない。
一。 奪取した二ヵ所の陣地に、黄忠と魏延の二軍を入れて、涪水の線を守らせ、玄徳はひとまず涪城へかえった。 折からまた、遠くへ行った細作が帰ってきて、蜀外の異変をもたらした。「呉の孫権が、漢中の張魯へ、謀略の密使をさし向けました。
むしろ速やかに、兵をおすすめあれ。いつまで魏延、黄忠を涪水の線に立たせておくは下策です」 。 励まされて、玄徳は、次の日涪城を発し、前線へ赴いた。「雒城の要害はまさに蜀第一の嶮。いかにせばこの不落の誇りを破り得ようか」 。
と、予言した。 果たして、それから七日の後、玄徳の使いとして、関羽の養子関平が征地から帰ってきた。「軍師龐統は戦死し、わが君以下は、涪城に籠って、四面皆敵、いまは進退きわまっておられます」 。 さらに、玄徳の書簡を出した。 孔明はそれを読んで泣いた。
「おう、水陸二手にわかれ、即刻、蜀へ急ぐべしとある。――待ち遠しや、孔明、張飛のここにいたるは何日」 。 涪城に籠って、玄徳は、行く雲にも、啼き渡る鳥にも、空ばかり仰いでいた。「皇叔。この頃、寄手のていをうかがってみますと、蜀兵も、この涪城を出ぬお味方に攻めあぐね、みな長陣に倦み飽いて、惰気満々のていたらくです。