漢中
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諺にも、犢はかえって虎を恐れずとか申します。あなたが夷国の小卒を斬ったところでご名誉にはなりません。反対にもし怪我でもあったら漢中王の御心を傷ましめましょう。もう一騎打ちには出ないで下さい」 。 関平は諫めたが、関羽は笑っているのみである。
劉表は彼の功を賞して、甚だしく歓んだが、幾日か過ぎると、また、 。「憂いのたねは尽きないものだ」と、嘆息して、玄徳にはかった。「ご辺のような雄才が、わが荊州にいる以上、大安心はしているが、漢中の張魯と、呉の孫権はいつも頭痛のたねだ。ことに南越の境には、のべつ敵の越境沙汰がたえない。この患いを除くにはどうしたものであろう。
一。 近年、漢中(陝西省・漢中)の土民のあいだを、一種の道教が風靡していた。 五斗米教。 仮にこう称んでおこう。
張松はすぐに本国へ帰ろうと思った。しかし、つらつら思うに、自分が魏に来た心の底には、蜀はとうてい、いまの暗愚な劉璋では治まらない。いずれ漢中に侵略される運命にある。で、こんどの使命を幸いに、もし曹操の人物さえよかったら、魏の国に蜀を合併させるか、属国となすか、いずれにせよ、蜀は曹操に取らしてもよい考えでいたのである。「よしっ。
こうなると、張松も黙っていられない。国家の危機とは、これからのことではない、今やすでにその危機にある蜀である。もし漢中の張魯と魏の曹操が結んで今にも国内へ進撃してきたらどうするか。ただ強がるばかりが愛国ではないぞ、ほかに良策があるならここで聞かせよ、と詰問り寄った。 と、ふたたび帳外から、 。
「なにを猶予あるか、はやはや進まれよ」 。 と叱咤し、また車の側へ行って、劉璋にささやいた。「彼らはみな、忠義ぶったり、狂態を見せて、君を脅かさんなど企らんでいますが、要するに本心は、漢中との戦端を避けて、一日でも安逸を偸んでいたい輩なんです。妻子愛妾の私情にもひかれているに違いありません」 。 そのうち楡橋門へかかった。
宿老の張昭は、いつも若い孫権に歯止めの役割をしていたが、このときも次のようにいった。「蜀の劉璋へ、一書をおつかわしあって、玄徳は呉へ後詰を頼んできている。必ずや蜀を横奪する考えにちがいない、とまず劉璋を疑わせ、また漢中の張魯へも、物資軍需の援助を云いやり、しばらく玄徳を苦しませて、後おもむろに荊州を取るのが一番の良策でしょう」。