冒頭 焦土戦術(しょうどせんじゅつ)とは、撤退や籠城の放棄に際して、敵が利用し得る物資や施設を焼却・破壊し、占領しても補給・駐屯・統治の利を得にくくするための戦術です。 概要 焦土化の対象には、城郭・官舎・倉庫などの...
冒頭 夏侯氏(かこうし)とは、曹操の陣営で中核的に用いられる武門の一族です。作中では、夏侯惇・夏侯淵の兄弟が早くから兵を率いて曹操に合流し、曹操の軍の主力将として各地の戦役に参加します 概要 作中で夏侯氏は、曹操の直属軍を支...
冒頭 子午谷(しごこく)とは、秦嶺を越えて漢中方面から関中の長安へ通じる山谷の道筋の一つです。蜀が北伐で魏の中枢に迫る際、正面の大路とは別に「虚を衝く」奇道として論じられます。 概要 吉川英治『三国志』では、蜀軍が沔...
冒頭 陽平関(ようへいかん)とは、漢中へ通じる要路に置かれた関所で、魏が漢中へ侵攻する際の攻略目標、また蜀が北方からの圧力を受ける際の防衛線として扱われる地名です。張魯勢は「漢中第一の嶮要」として、ここを中心に守る方針を立てま...
冒頭 太傅(たいふ)とは、後漢から三国時代にかけて置かれた高位の文官職で、君主や皇太子を補佐し、政治上の助言や儀礼上の監督を担う地位です。吉川三国志では、劉備が漢中王に即いた際に嫡子劉禅の教育・補佐役として許靖が太傅に任ぜられ...
冒頭 無当飛軍(むとうひぐん)とは、蜀漢が編成したとされる精鋭部隊の一種で、険阻な地形での機動と戦闘に適応した兵を指す呼称です。 概要 名称の「飛軍」は、騎兵に限らず迅速な行軍と展開を重視した軍をいう場合があり、正規軍の中で...
冒頭 諸葛亮の北伐(しょかつりょうのほくばつ)とは、蜀漢の丞相・諸葛亮(孔明)が、漢中から魏の関中・中原方面へ軍を進め、長安などの要地を圧して国勢の転換を図ろうとした一連の遠征作戦です。蜀軍が沔陽まで進出して魏の長安布陣の情報...
冒頭 列侯(れっこう)とは、漢代以来の爵位の一種で、国家から封地と爵号を与えられて諸侯の列に連なる身分のことです。曹操が政権を整える過程で「旧臣十三人を列侯に封じ」たように、功臣を遇する恩賞として用いられます 。 概要 ...
冒頭 五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)とは、蜀の劉備が漢中王として即位したのち、関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲の五将をひとまとめに任じた、蜀の最高位級の軍職です。 概要 建安二十四年秋七月、沔陽で劉備の即位が行われ、諸...
冒頭 漢中争奪戦(かんちゅうそうだつせん)とは、蜀の劉備軍が漢中を攻略し、これを魏の曹操が奪回しようとして両軍が漢中一帯で衝突した一連の戦いです。漢中は肥沃で生産が多く、国境防衛の要と位置づけられ、失陥すれば魏国内が震動すると...
冒頭 濡須口の戦い(じゅしゅこうのたたかい)とは、長江下流の要地である濡須の河口付近をめぐって、主に魏と呉が衝突した一連の会戦を指す呼称です。呉の都建業に近い防禦線であり、ここを破られることは中枢への直接的脅威となりました。 ...
冒頭 定軍山の戦い(ていぐんざんのたたかい)とは、漢中の要地である定軍山周辺をめぐって、蜀軍(劉備方)と魏軍(曹操方)が衝突し、蜀の黄忠が魏の主将級である夏侯淵を討ち取った戦いです。 概要 定軍山は漢中方面の軍事拠点...
冒頭 諸葛連弩(しょかつれんど)とは、諸葛孔明が考案したとされる連射式の弩で、蜀軍の装備改良の中核に据えられた新兵器です。 概要 作中では、孔明が漢中滞陣の一年に軍制と兵器を大きく整備し、従来は位置づけの低かった弩弓...
冒頭 五斗米道(ごとべいどう)とは、漢中を中心に広まった道教系の教団で、入信のしるしとして米五斗を納める掟があるものです。 概要 五斗米道は漢中の土民のあいだで勢力を伸ばし、病苦・災難よけ・盗賊よけなどの効験が語られ...
冒頭 譙周(しょうしゅう)とは、蜀の朝廷に仕えた文官で、典礼や故実に通じ、必要に応じて上奏文の起草や史官的立場からの諫言にあたった人物です。劉備が漢中王に即く際、その旨を天子に奏するための表を作成した者として登場します。 生...
夏侯淵(かこうえん)とは 後漢末から三国時代にかけての武将で、魏の曹操に仕えた将軍。字は妙才(みょうさい)。曹操の従弟であり、夏侯惇と並んで夏侯一族を代表する人物の一人。 生涯 若い頃から曹操に従い、特に機動力を生か...
夏侯(かこう)とは 中国の古い氏族名で、三国志においては曹操の一族と深く関わる武将の家系を指す。特に夏侯惇(かこうとん)と夏侯淵(かこうえん)が著名で、いずれも曹操の従兄弟として魏の軍事を支えた。 夏侯惇(かこうとん) ...
曹操孟徳(そうそう もうとく)とは 曹操は後漢末から三国時代初期にかけて活躍した群雄で、魏の基礎を築いた人物である。字は孟徳(もうとく)。その才能と多面性から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される。 魏王(ぎおう)とは ...
桃園の巻黄巾賊流行る童歌白芙蓉張飛卒桑の家橋畔風談童学草舎三花一瓶義盟転戦檻車秋風陣十常侍打風乱柳岳南の佳人故園乱兆舞刀飛首蛍の彷徨い呂布赤兎馬春園走獣白面郎「曹操」# 群星の巻偽忠狼心競う南風江東の虎関羽一杯の酒虎牢関洛陽落日賦生死...
一 近年、漢中(陝西省・漢中)の土民のあいだを、一種の道教が風靡していた。 五斗米教。 仮にこう称んでおこう。その宗教へ入るには、信徒になるしるしとして、米五斗を持てゆくことが掟になっているからである。 「わしの家...
一 秋七月。魏の曹真は、 「国家多事の秋。久しく病に伏して、ご軫念を煩わし奉りましたが、すでに身も健康に復しましたゆえ、ふたたび軍務を命ぜられたく存じます」 と、朝廷にその姿を見せ、また表を奉って、 ――秋すずしく...
一 さきに街亭の責めを負うて、孔明は丞相の職を朝廷に返していた。今度、成都からの詔書は、その儀について、ふたたび旧の丞相の任に復すべしという、彼への恩命にほかならなかった。 「国事いまだ成らず、また以後、大した功もないのに、何...
一 蜀を破ったこと疾風迅雷だったが、退くこともまた電馳奔来の迅さであった。で、勝ち驕っている呉の大将たちは、陸遜に向って、 「せっかく白帝城へ近づきながら石の擬兵や乱石の八陣を見て、急に退いてしまったのは、一体いかなるわけです...
一 永安城の李厳は、増産や運輸の任に当って、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。 今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。 近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ...
一 魏の兵が大勢して仔馬のごとく草原に寝ころんでいた。 一年中で一番季節のよい涼秋八月の夜を楽しんでいるのだった。 そのうちに一人の兵が不意に、あっといった。 「やっ。何だろう?」 また、ひとりが指さし、その...