漢水
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「漢水」登場回数
合計: 30回「漢水」が登場する場面
7件一帆呉へ下る
「それこそ、然るべし」と、意見は一致し、関羽に手勢五千をつけて、先に江夏の城へやった。そして何らの異変もないと確かめて後、玄徳や孔明、劉琦などは前後して入城した。 こうして、すでに長蛇を逸し去った曹操は、ぜひなく途中に軍の行動を停止して、各地に散開した追撃軍を漢水の畔に糾合したが、 。「他日、玄徳が江陵に入っては一大事である」 。 と、さらに湖南へ下ってそこを奪い、一部の兵を留めて、すぐ荊州へ引っ返してきた。
一股傷折
一刻も早く、定軍山の本陣へ戻って、陣容を整え、新たな作戦に出なければならぬと、別の路から退こうとした所へ、杜襲が敗軍を率いて逃げてきて、 。「定軍山の本陣、ただいま蜀の大将劉封、孟達どもに奪われてしまいました」と報じた。 張郃は気を失うばかりに落胆して、これまでとばかり杜襲を伴って漢水へ命からがら逃げのびて陣を張った。 敗将両名、見るも気の毒な姿である。 杜襲は張郃に向い、 。
五関突破
顧みれば――都を出てから、五ヵ所の関門を突破し、六人の守将を斬っている。 許都を発してからは、踏破してきたその地は。 襄陽(漢口より漢水上流へ二百八十粁) 。 覇陵橋(河南省・許州) 。 東嶺関(河南省許州より洛陽への途中) 。
具眼の士
陛下もまた、孔明はここにあらずとも、常に成都を守っているものとお思い遊ばしてお心づよくおわしませ」 。 後主劉禅は、孔明がこう別れを奏してひれ伏すと、何のことばもなくしばし御衣の袂に面をつつんでいた。 なおこの際にも、成都人の一部では、宮門の柏樹が毎夜泣くとか、南方から飛翔してきた数千の鳥群がいちどに漢水へ落ちて死んだとか、不吉な流言をたてて、孔明の出軍を阻めようとする者もあったが、孔明の大志は、決してそんな虚謬の説に弱められるものではなかった。 彼は一日、成都郊外にある先帝の霊廟に詣でて...
檀渓を跳ぶ
西門の番兵が、あッとなにか呶鳴ったようだが、飛馬の蹄は、一塵のもとに彼の姿を遠くしてしまった。 鞭も折れよと、馳け跳ぶこと二里余り、道はそこで断たれていた。ただ見る檀渓(湖北省・襄陽の西、漢水の一支流)の偉観が前に横たわっている。断層をなした激流の見渡すかぎりは、白波天にみなぎり奔濤は渓潭を噛み、岸に立つや否、馬いななき衣は颯々の霧に濡れた。 玄徳は馬の平首を叩いて、 。
次男曹彰
(この敗辱をそそがでやあるべき)と、ひたすら軍の増強を急ぎつつあるという。 ここに巴西宕渠の人で、王平字を子均という者がある。この辺の地理にくわしいところから曹操に挙げられて、牙門将軍として用いられ、いま徐晃の副将として、共に漢水の岸に立って、次の決戦を計っていたが、徐晃が、 。「河を渡って陣を取らん」というのに、王平は反対して、 。「水を背にするは不利だ」と、互いに、意見を異にしていた。
溯江
黄祖は、盔も捨て、ついには、馬までおりて、徒歩の雑兵たちの中へまぎれこんで、危うくも、一つの河をわたり、鄧城の内へ逃げ入った。 この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟は十方の野を圧した。 孫堅は、ただちに、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯させた。 × × × 。「黄祖が大敗しました」 。