漢水
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黄祖は、盔も捨て、ついには、馬までおりて、徒歩の雑兵たちの中へまぎれこんで、危うくも、一つの河をわたり、鄧城の内へ逃げ入った。 この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟は十方の野を圧した。 孫堅は、ただちに、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯させた。 × × × 。「黄祖が大敗しました」 。
顧みれば――都を出てから、五ヵ所の関門を突破し、六人の守将を斬っている。 許都を発してからは、踏破してきたその地は。 襄陽(漢口より漢水上流へ二百八十粁) 。 覇陵橋(河南省・許州) 。 東嶺関(河南省許州より洛陽への途中) 。
西門の番兵が、あッとなにか呶鳴ったようだが、飛馬の蹄は、一塵のもとに彼の姿を遠くしてしまった。 鞭も折れよと、馳け跳ぶこと二里余り、道はそこで断たれていた。ただ見る檀渓(湖北省・襄陽の西、漢水の一支流)の偉観が前に横たわっている。断層をなした激流の見渡すかぎりは、白波天にみなぎり奔濤は渓潭を噛み、岸に立つや否、馬いななき衣は颯々の霧に濡れた。 玄徳は馬の平首を叩いて、 。
襄陽の市街から孔明の家のある隆中へ行くには、郊外の道をわずか二十里(わが二里)ぐらいしかない。 隆中は山紫水明の別天地といっていい。遠く湖北省の高地からくる漢水の流れが、桐柏山脈に折れ、※水に合し、中部支那の平原をうねって、名も沔水と変ってくると、その西南の岸に、襄陽を中心とした古い都市がある。 孔明の家から、晴れた日は、その流れ、その市街がひと目に見えた。彼の宅地は隆中の小高い丘陵の中腹にあり、家のうしろには、楽山とよぶ山があった。
「それこそ、然るべし」と、意見は一致し、関羽に手勢五千をつけて、先に江夏の城へやった。そして何らの異変もないと確かめて後、玄徳や孔明、劉琦などは前後して入城した。 こうして、すでに長蛇を逸し去った曹操は、ぜひなく途中に軍の行動を停止して、各地に散開した追撃軍を漢水の畔に糾合したが、 。「他日、玄徳が江陵に入っては一大事である」 。 と、さらに湖南へ下ってそこを奪い、一部の兵を留めて、すぐ荊州へ引っ返してきた。
五千の精兵、真に飛ぶが如く、追撃に追撃である。勢いにのった鋭さは乱れ立った魏の勢のよく及ぶところではない。 一ヵ所といえど、よく支える地点もなく、ひたすらな敗走は、自軍の兵の動きにもおびえる始末で、遂に漢水の辺りまで退却のやむなきに至った。 漢水に入って、我に還った張郃は、ふと気づいて、夏侯尚、韓浩に、 。「天蕩山は、味方の兵粮を貯蔵しあるところ、米倉山に続き、みなこれ漢中の軍が生命とたのむところである。
一刻も早く、定軍山の本陣へ戻って、陣容を整え、新たな作戦に出なければならぬと、別の路から退こうとした所へ、杜襲が敗軍を率いて逃げてきて、 。「定軍山の本陣、ただいま蜀の大将劉封、孟達どもに奪われてしまいました」と報じた。 張郃は気を失うばかりに落胆して、これまでとばかり杜襲を伴って漢水へ命からがら逃げのびて陣を張った。 敗将両名、見るも気の毒な姿である。 杜襲は張郃に向い、 。