潼関
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「潼関」登場回数
合計: 14回「潼関」が登場する場面
7件不倶戴天
君がその決心ならば」 。 と、韓遂は即日やって来て、馬超軍に身を投じた。 西涼の精猛数万、殺到して、ここに、潼関(陝西省)へ攻めかかる。 長安(陝西省・西安)の守将鍾繇は、驚死せんばかりに仰天して、曹操のほうへ、早馬をもって、急を告げる一方、防ぎにかかったが、西涼軍の先鋒馬岱に蹴ちらされて、早くも、長安城へ逃げ籠る。 長安は、いま廃府となっていたが、むかし漢の皇祖が業を定めた王城の地。
兵学談義
その席上で、一人の将が、曹操に訊いた。「後学のため、伺いますが。――合戦の初めに、馬超の軍勢は、潼関に拠っていましたから、渭水の北は遮断された形でした」 。「ムム」 。「で当然、河の東を攻めて、お進みかと思いのほか、さはなくて、いたずらに野陣の危険にさらされたり、後また北岸に陣屋を作り、いつになく、戦法に惑いがあるように見えましたが……」 。
女衣巾幗
五丈原は宝鶏県の西南三十五里、ここもなお千里を蜿る渭水の南にある。そして従来数次の陣地に較べると、はるかに遠く出て、中原へ突出している。 しかも、ここまで来ると、敵国長安の府も潼関も、また都洛陽も、一鞭すでに指呼のうちだ。(このたびこそ、ここの土と化するか、敵国の中核に突き入るか、むなしく再び漢中には還らぬであろう) 。 となしている孔明の気魄は、その地点と軍容から観ても、顕然たるものだった。
渭水を挟んで
一。 曹操の本軍と、西涼の大兵とは、次の日、潼関の東方で、堂々対戦した。 曹軍は、三軍団にわかれ、曹操はその中央にあった。 彼が馬をすすめると、右翼の夏侯淵、左翼の曹仁は、共に早鉦を打ち鼓を鳴らして、その威風にさらに気勢を加えた。
火水木金土
北国のならいで、もう雪が降りだしてくる。灰色の密雲がふかく天をおおって、ここ幾日も雪ばかりなので、両軍とも、兵馬をひそめたまま睨み合っていた。「西涼の胡夷どもは、寒さに強いし、また潼関へも引き籠れるが、味方はこの野陣のままでは、冬中吹雪にさらされておらねばならぬ。何とか、よい工夫はないか」 。 曹操とその幕将が、その日もしきりに討議しているところへ、飄然、名を告げて、この陣営へ訪れて来たものがある。
絶妙好辞
また、龍虎になぞらえた近衛兵二万五千、これを五手に分け、いずれも五色の旗を持って、龍鳳日月の旗を中心に控えた有様は、まばゆきばかりの美しさと、天下を睥睨する威容をつくって、見事なものであった。二。 絢爛たる軍容粛々とあたりを払って、潼関にまで進んだ。 曹操は、遥かに樹木の生い繁った所を見て、 。「あれは、いずくぞ」と、従者に問う。
西蜀四十一州図
張松は口を曲げて答えた。「聞説。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布にもてあそばれ、宛城に張繍と戦うて敗走し、また赤壁に周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を捨てて辛くも逃げのがれ給いしとか。さるご名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。