祁山
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「祁山」登場回数
合計: 117回「祁山」が登場する場面
7件ネジ
「ほかでもないが、近頃、敵の孔明がたくさんにつくらせたという木牛流馬なるものを、貴公らは見たか」 。「いやまだ目撃しません」 。「剣閣と祁山の間で、盛んに輸送に用いているというじゃないか」 。「そうだそうです」 。「彼につくれる物なら、その構造を見れば、わが陣でもつくれぬことはない。
七盞燈
小安をむさぼって守るを国是となさんか、たちまち、魏呉両国は慾望を相結んで、この好餌を二分して頒たんと攻めかかって来るや必せりである。 坐して亡ぶを俟たんよりはと、出でて蜀の活路を求めんとせんか、それは孔明の唱える大義名分と現下の作戦以外には、絶対にほかに道はないのだった。 かくて祁山、渭水の対陣は、蜀の存亡にとっても、孔明一身にとっても今は宿命的な決戦場となった。ここを退いて蜀の生きる道はない生命線であったのである。 近頃、魏の陣営は、洛陽の厳命に依って、まったく守備一方に傾き――、みだりに...
二度祁山に出づ
姜維の一言に孔明も大いに悟るところがあった。一転、彼は方針をかえた。 すなわち、陳倉の谷には、魏延の一軍をとどめて、対峙の堅陣を張らせ、また、近き街亭方面の要路には、王平と李恢に命じて、これを固く守らせておいて、孔明自身は、夜ひそかに陳倉を脱し、馬岱、関興、張苞などの大軍をつれて遠く山また山の間道を斜谷を越え、祁山へ出て行ったのである。 一面。――魏の長安大本営では、大都督曹真が、王双からの捷報を聞いて、 。
二次出師表
(魏が呉を侵すときは、蜀は直ちに、魏の背後を脅かさん。もしまた、魏と蜀とが相たたかう場合は、呉は魏の側面からこれを撃つの義務を持つ) 。 というその折の条文によって、祁山、街亭の戦いが開始されるや、呉は当然、どういう形をとっても、魏の側面へ向って軍事行動を起さなければならない立場にあったのである。 これに対して、魏もまた、充分なる警戒を払っていたにちがいない。そうした空気において、たまたま周魴の詭計が行われたので、それを口火として、時を移さず魏呉の戦端がひらかれたものと、正しくは観るべきも...
八陣展開
一。 魏は渭水を前に。蜀は祁山をうしろに。――対陣のまま秋に入った。「曹真の病は重態とみえる……」 。
具眼の士
二。 さきに張苞を亡い、いままた、関興の訃に接して、孔明の落胆はいうまでもないことだが、その嘆きはかえって、この時の第六次出師の雄図をしてさらにさらに、愁壮なものとしたことも疑われない。 漢中に勢揃いをし、祁山へ進発した蜀軍は、五大部隊にわかれ、総兵三十四万と号していた。 ときに魏は改元第二年を迎えて、青龍二年春二月だった。 去年、摩坡という地方から、青龍が天に昇ったという奇異があって、これ国家の吉祥なりと、改元されたものである。
司馬仲達計らる
一。 蜀の諸葛亮孔明と、魏の司馬懿仲達とが、堂々と正面切って対峙するの壮観を展開したのは、実にこの建興七年四月の、祁山夏の陣をもって最初とする。 それまでの戦いでは仲達はもっぱら洛陽にあって陣頭に立たなかったといってよい。序戦の街亭の役には、自身陽平関にまで迫ったが、孔明は楼上に琴を弾じて、彼の疑い退くを見るや、風の如く漢中へ去ってしまい、両々相布陣して、乾坤一擲に勝敗を決せんとするような大戦的構想は、遂にその折には実現されずにしまった。