冒頭 司馬懿(しばい)とは、魏に仕え、諸葛亮(孔明)と対峙して魏軍を統率した軍政家・策略家で、字(あざな)を仲達(ちゅうたつ)、河内温の人として語られる人物です。 生涯 曹操の時代から魏に奉職し、曹操・曹丕・曹叡の三...
冒頭 旌旗(せいき)とは、軍勢や陣営を象徴し、部隊の所在や統率者の権威を示すために立てる旗類の総称です。戦場では視認性と合図の機能を兼ね、陣形の中心や進退の目印となります。 概要 吉川英治『三国志』では、両軍の対陣を...
冒頭 糧草(りょうそう)とは、軍勢が行軍・籠城・会戦を継続するために必要な食糧や、その補給に付随する物資全般を指す言葉です。 概要 吉川英治『三国志』では、戦の勝敗を左右する基盤として糧草が扱われ、前線へ届く量だけで...
冒頭 街亭(がいてい)とは、蜀が祁山方面へ出兵する際に補給と進軍路を支える要道の要地で、諸葛亮が「我が咽喉に等しい」とまで位置づけた地点です。 概要 吉川英治『三国志』では、街亭は「要道の咽喉」として、敵軍の往来を遮...
冒頭 甘粛省(かんしゅくしょう)とは、中国西北部に位置する地域名で、吉川英治『三国志』では後漢末から三国期にかけての「西涼」「涼州」「隴西」などに関わる土地として、現代地名の注記つきで示されることがある土地です。 概要 ...
冒頭 諸葛亮の北伐(しょかつりょうのほくばつ)とは、蜀漢の丞相・諸葛亮(孔明)が、漢中から魏の関中・中原方面へ軍を進め、長安などの要地を圧して国勢の転換を図ろうとした一連の遠征作戦です。蜀軍が沔陽まで進出して魏の長安布陣の情報...
冒頭 六出祁山(りくしゅつきざん)とは、蜀漢の丞相・諸葛亮孔明が、魏の中枢である長安方面へ進出するため、要衝の祁山を拠点として繰り返し出兵した一連の北伐を「六度(六回)祁山に出る」と数えて呼ぶ言い方です。司馬懿が「孔明三年の歳...
冒頭 諸葛亮(しょかつりょう)とは、蜀漢の丞相として劉備・劉禅を補佐し、内政と軍事の両面で国政を担った軍師です。字は孔明(こうめい)で、臥龍先生とも称され、天文・地理民情に通じ、六韜三略を修めた「神算鬼謀」の人物として語られま...
冒頭 張嶷(ちょうぎ)とは、蜀漢の将で、諸葛亮の北伐や南方戦に従い、前線の実戦部隊を指揮した人物です。孔明の軍中では「撫戎将軍関内侯」として列せられます 。 生涯 吉川三国志では北伐期にたびたび前線将として登場し、王...
冒頭 李豊(りほう)とは、蜀の重臣で白帝城の鎮守である李厳(りげん)の子で、諸葛孔明の北伐期に父の使者として政軍の連絡に携わる人物です。 生涯 祁山・渭水方面で孔明が長安進撃を構想していた折、白帝城から孔明のもとへ唐...
冒頭 司馬昭(しばしょう)とは、魏の重臣・司馬懿(仲達)の次男で、兄の司馬師とともに父の麾下で行動し、魏軍の対蜀作戦に従って名を見せる人物です。司馬懿が宛城で閑居していた時期、師・昭の兄弟は父に近侍し、兵書に通じた胆大智密の若...
桃園の巻黄巾賊流行る童歌白芙蓉張飛卒桑の家橋畔風談童学草舎三花一瓶義盟転戦檻車秋風陣十常侍打風乱柳岳南の佳人故園乱兆舞刀飛首蛍の彷徨い呂布赤兎馬春園走獣白面郎「曹操」# 群星の巻偽忠狼心競う南風江東の虎関羽一杯の酒虎牢関洛陽落日賦生死...
一 魏軍の一部は、次の日も出撃を試みた。その日も若干の戦果を挙げた。 以来、機をうかがっては、出撃を敢行するたびに、諸将それぞれ功を獲た。その多くは、葫芦の口へ兵糧を運んでゆく蜀勢を襲撃したもので、糧米、輸車、そのほかの鹵獲...
一 呉は、たちまち出て、たちまち退いた。呉の総退却は、呉の弱さではなく、呉の国策であったといってよい。 なぜならば、呉は、自国が積極的に戦争へ突入する意志をもともと持っていないのである。蜀をして魏の頸を咬ませ、魏をして蜀の喉...
一 永安城の李厳は、増産や運輸の任に当って、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。 今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。 近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ...
一 自国の苦しいときは敵国もまた自国と同じ程度に、或いはより以上、苦しい局面にあるという観察は、たいがいな場合まず過りのないものである。 その前後、魏都洛陽は、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。 それは、...
一 蜀の諸葛亮孔明と、魏の司馬懿仲達とが、堂々と正面切って対峙するの壮観を展開したのは、実にこの建興七年四月の、祁山夏の陣をもって最初とする。 それまでの戦いでは仲達はもっぱら洛陽にあって陣頭に立たなかったといってよい。序戦...
一 「張虎と楽綝か。早速見えて大儀だった。まあ、腰かけてくれ」 「懿都督。何事ですか」 「ほかでもないが、近頃、敵の孔明がたくさんにつくらせたという木牛流馬なるものを、貴公らは見たか」 「いやまだ目撃しません」 「剣...
一 呉の境から退いて、司馬懿が洛陽に留っているのを、時の魏人は、この時勢に閑を偸むものなりと非難していたが、ここ数日にわたってまた、 (孔明がふたたび祁山に出てきた。ために、魏の先鋒の大将は幾人も戦死した) という情報が...
一 蜀魏両国の消耗をよろこんで、その大戦のいよいよ長くいよいよ酷烈になるのを希っていたのは、いうまでもなく呉であった。 この時に当って、呉王孫権は、宿年の野望をついに表面にした。すなわち彼もまた、魏や蜀にならって、皇帝を僭称...
一 「それがしは、魏の部将鄭文という者です。丞相に謁してお願いしたいことがある」 ある日、蜀の陣へ来て、こういう者があった。 孔明が対面して、 「何事か」 と、質すと、鄭文は拝伏して、 「降参を容れていただ...
一 漢中滞陣の一ヵ年のうちに、孔明は軍の機構からその整備や兵器にまで、大改善を加えていた。 たとえば突撃や速度の必要には、散騎隊武騎隊を新たに編制して、馬に練達した将校をその部に配属し、また従来、弩弓手として位置も活用も低か...
一 孔明は成都に還ると、すぐ参内して、天機を奉伺し、帝劉禅へこう奏した。 「いったい如何なる大事が出来て、かくにわかに、臣をお召し還し遊ばされましたか」 もとより何の根拠もないことなので、帝はただうつ向いておられたが、や...
一 誰か知ろう真の兵家が大機を逸した胸底のうらみを。 人はみな、蜀軍の表面の勝ちを、あくまで大勝とよろこんでいたが、独り孔明の胸には、遺憾やるかたないものがつつまれていた。 加うるに、彼が、ひとまず自軍を渭南の陣にまと...
一 魏の大陣容はととのった。 辛毘、あざなは佐治、これは潁州陽翟の生れ、大才の聞え夙にたかく、いまや魏主曹叡の軍師として、つねに帝座まぢかく奉侍している。 孫礼、字は徳達は、護軍の大将として早くより戦場にある曹真の大軍...