重慶
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孟達も、眼をもって意中の会釈をした。 さきに法正がもたらした返辞によって、玄徳が来援を承諾したと聞き、大守劉璋は無性に歓んでいたらしく、道々の地頭や守護人に布令て、あらゆる歓待をさせた。 そのうえ彼自身、成都を出て、涪城(四川省・重慶の東方)まで出迎えると、車馬、武具、幔幕など、ここを晴と準備していた。「危険です。見ず知らずな国から来た五万の軍中へ、自らお出であるなどとは」 。
「それもよかろう」 。 使者は、成都へ向って行った。 途中、涪水関(重慶の東方)にかかると、その日も、山上の関門から手をかざして、麓の道を監視していた番兵が、 。「玄徳の部下らしく、小旗を持った荊州の使者が、今これへかかって来ます。通しますか、拒みますか」と、蜀の二将、楊懐と高沛の前に告げた。
彼の率いた一万騎は、漢川を風靡した。しかし、よく軍令を守って、少しも略奪や殺戮の非道をしなかったので、行く先々の軍民は、彼の旗をのぞんでみな降参して来た。 やがて巴郡(重慶)へ迫った。 蜀の名将厳顔は、老いたりといえど、よく強弓をひき太刀を使い、また士操凛々たるものがあった。 張飛は、城外十里へ寄せて、使いを立て、 。
自分が総指揮官となって、意のままに作戦し、思うように戦ってみたかったのである。意気揚々、巴西へ向った。 この巴西方面から閬中(重慶の北方)のあたりは、山みな峨々として、谷は深く、嶮峰は天にならび、樹林は千仭の下にうずもれ、いったいどこに陣し、どこに兵馬を歩ますか。 ――ちょっと見定め難いような地勢ばかりだった。 張郃は、三ヵ所に、陣地を構築した。