陝西
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「呉の孫堅が討たれた」 。 耳から耳へ。 やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞えてきた。 董卓は、手を打って、 。「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。
団結を解いてはならん。もし諸君が、一人一人に分離すれば、田舎の小役人の力でも召捕ることができる。よろしく集結を固め、その上に、陝西の地方民をも糾合しして、長安へ殺到すべしである。――うまくゆけば、董卓の仇を報じて、朝廷をわれらの手に奉じ、失敗したらその時逃げても遅くない」 。「なるほど」 。
――日をおうに従って、彼の兵力はいちじるしく衰弱を呈してきた。 一方、郭汜軍も、ようやく、戦い疲れていた。そこへ、陝西地方から張済と称する者が、大軍を率いて仲裁に馳け上り、和睦を押しつけた。 いやといえば、新手の張済軍に叩きのめされるおそれがあるので、 。「爾今、共に協力して政事をたて直そう」と、和解した。
彼らには、帝王の轍の跡を追うよりは手に抱えた百銭の財の方がはるかに大事だった。二。 陝西の北部といえば、まだ未開の苗族さえ住んでいる。人文に遠い僻地であることはいうまでもない。 目的のために狎れ合った郭と李の聯合勢が、どこまでも執拗に追撃して来るので、帝の御車は道をかえて、遂にそんな地方へ逃げ隠れてしまわれた。
「それを実は、予も、敵国の勃興以上に、憂えているところだ」と、正直に云った。「こうなさい――」荀攸は立ちどころに献策した。「西涼州(甘粛省・陝西奥地一帯)の太守馬騰をお召しになり、彼の擁している匈奴の猛兵や、今日まで無傷に持たれている軍需資源をもって、玄徳を討たせるのです。そしてなお大令を発し給えば、各地の諸侯もこぞって参戦しましょう」 。「そうだ。
君がその決心ならば」 。 と、韓遂は即日やって来て、馬超軍に身を投じた。 西涼の精猛数万、殺到して、ここに、潼関(陝西省)へ攻めかかる。 長安(陝西省・西安)の守将鍾繇は、驚死せんばかりに仰天して、曹操のほうへ、早馬をもって、急を告げる一方、防ぎにかかったが、西涼軍の先鋒馬岱に蹴ちらされて、早くも、長安城へ逃げ籠る。 長安は、いま廃府となっていたが、むかし漢の皇祖が業を定めた王城の地。
一。 近年、漢中(陝西省・漢中)の土民のあいだを、一種の道教が風靡していた。 五斗米教。 仮にこう称んでおこう。