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鬢糸の雪

一 「えっ、荊州が陥ちた?」  関平は戦う気も萎え、徐晃をすてて一散に引っ返した。混乱するあたまの中で、 「ほんとだろうか? まさか?」  と、わくわく思い迷った。  そして堰城近くまで駈けてくると、こはいかに城は濛...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
鳳雛去る

一  喪旗を垂れ、柩をのせた船は、哀々たる弔笛を流しながら、夜航して巴丘を出て、呉へ下って行った。 「なに、周瑜が死んだと?」  孫権は、彼の遺書を手にするまで、信じなかった。いや信じたくなかった。  周瑜の遺書には、 ...

本文 望蜀の巻 三国志
3 days ago
西蜀四十一州図

一  覇者は己れを凌ぐ者を忌む。  張松の眼つきも態度も、曹操は初めから虫が好かない。  しかも、彼の誇る、虎衛軍五万の教練を陪観するに、いかにも冷笑している風がある。曹操たる者、怒気を発せずにはいられなかった。 「張松...

本文 望蜀の巻 三国志
3 days ago
孔明・風を祈る

一  よほど打ち所が悪かったとみえる。周瑜は営中の一房に安臥しても、昏々とうめき苦しんでいる。  軍医、典薬が駈けつけて、極力、看護にあたる一方、急使は、呉の主孫権の方へこの旨を報らせに飛ぶ。 「奇禍に遭って、都督の病は重態...

本文 三国志 赤壁の巻
3 days ago
一帆呉へ下る

一  玄徳の生涯のうちでも、この時の敗戦行は、大難中の大難であったといえるであろう。  曹操も初めのうちは、部下の大将に追撃させておいたが、 「今をおいて玄徳を討つ時はなく、ここで玄徳を逸したら野に虎を放つようなものでしょう...

本文 三国志 赤壁の巻
3 days ago
蜀呉修交

一  要するに、陸遜の献策は。  一つには魏の求めに逆らわず、二つには蜀との宿怨を結ばず、三つにはいよいよ自軍の内容を充実して形勢のよきに従う。  ということであった。  呉の方針は、それを旨として、以後、軍は進めて、あ...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
関羽

関羽(かんう)とは、中国後漢末期から三国時代にかけて活躍した武将で、劉備の義兄弟として知られる人物です。 生涯(生い立ち、活躍、最後) 関羽は、山西省解良県の出身とされ、若い頃には義侠心と武勇で地元にその名を知られるようになりま...

人名 三国志
3 days ago
針鼠

一  ほどなく玄徳は、荊州へ引揚げた。  中漢九郡のうち、すでに四郡は彼の手に収められた。ここに玄徳の地盤はまだ狭小ながら初めて一礎石を据えたものといっていい。  魏の夏侯惇は、襄陽から追い落されて、樊城へ引籠った。  ...

本文 望蜀の巻 三国志
3 days ago
荊州変貌

一  呉は大きな宿望の一つをここに遂げた。荊州を版図に加えることは実に劉表が亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。  陸口の陸遜も、やがて祝賀をのべにこれへ来た。その折、列座の中で呂蒙は、 ...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
銀河の祷り

一  彼の病気はあきらかに過労であった。それだけに、どっと打臥すほどなこともない。  むしろ病めば病むほど、傍人の案じるのをも押して、軍務に精励してやまない彼であった。近頃聞くに、敵の軍中には、また気負うこと旺なる将士が、大いに...

五丈原の巻 本文 三国志
3 days ago
進軍

一  劉璋は面に狼狽のいろを隠せなかった。 「曹操にそんな野心があってはどうもならん。張魯も蜀を狙う狼。曹操も蜀をうかがう虎。いったいどうしたらいいのじゃ」  気が弱い、策がない。劉璋はただ不安に駆られるばかりな眼をして云っ...

本文 望蜀の巻 三国志
3 days ago
呉の外交

一  ――それより前に。  張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
凛々細腰の剣

一  夜も日も馬に鞭打ちつづけた。さる程にようやく柴桑の地へ近づいて来る。玄徳はややほっとしたが、夫人呉氏は何といっても女性の身、騎馬の疲れは思いやられた。  だが幸い、途中の一豪家で車を求めることができ、夫人は車のうちに移した...

本文 望蜀の巻 三国志
3 days ago
草喰わぬ馬

一  関平も父の姿をさがし求めているうちに、朱然、潘璋の軍勢に生捕られた。そして荒縄にかけられて呉侯孫権の陣へひかれてゆく間も、父関羽の名を叫び、無念無念をくり返していた。  報を聞いて孫権は、翌る日、早暁に帳を出て、馬忠に関羽...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
具眼の士

一  多年軍需相として、重要な内政の一面に才腕をふるっていた李厳の退職は、何といっても、蜀軍の一時的休養と、延いては国内諸部面の大刷新を促さずにはおかなかった。  蜀道の嶮岨は、事実、誰がその責任者に当っても、克服することのでき...

五丈原の巻 本文 三国志
3 days ago
二次出師表

一  蜀呉の同盟はここしばらく何の変更も見せていない。  孔明が南蛮に遠征する以前、魏の曹丕が大船艦を建造して呉への侵寇を企てた以前において、かの鄧芝を使いとして、呉に修交を求め、呉も張蘊を答礼によこして、それを機会にむすばれた...

五丈原の巻 本文 三国志
3 days ago
呉の情熱

一  眼を転じて、南方を見よう。  呉は、その後、どういう推移と発展をとげていたろうか。  ここ数年を見較べるに――  曹操は、北方攻略という大事業をなしとげている。  玄徳のほうは、それに反して、逆境また逆境だった...

本文 三国志 赤壁の巻
3 days ago
烽火台

一  瑾の使いは失敗に帰した。ほうほうの態で呉へ帰り、ありのままを孫権に復命した。 「推参なる長髯獣め。われに荊州を奪るの力なしと見くびったか」  孫権は、荊州攻略の大兵をうごかさんとして、その建業城の大閣に、群臣の参集を求...

本文 三国志 遠南の巻
3 days ago
後漢

後漢(ごかん)とは 後漢とは、中国の歴史上、紀元25年から220年まで存在した王朝で、漢王朝の中でも「後期」に当たる政権です。前の「前漢(紀元前206年〜8年)」に対してこのように呼ばれます。 【歴史と成立】 ・創始者:劉秀(り...

三国志 地名
3 days ago
建艦総力

一  魏ではこのところ、ふたりの重臣を相次いで失った。大司馬曹仁と謀士賈詡の病死である。いずれも大きな国家的損失であった。 「呉が蜀と同盟を結びました」  折も折、侍中辛毘からこう聞かされたとき、皇帝曹丕は、 「まちがい...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
遼来々

一  合淝の城をあずかって以来、張遼はここの守りを、夢寐にも怠った例はない。  ここは、魏の境、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。  ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の※城は一支えもなく潰えてしまった。洪...

本文 三国志 遠南の巻
3 days ago
酔計二花

一  周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。  また彼の妻は、策の妃の妹であるから、現在の呉主孫権と周瑜とのあいだは、義兄弟に当るわけである。  彼は、盧江の生れで、字を公瑾といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十...

本文 三国志 赤壁の巻
3 days ago
三国志

三国志(さんごくし)は吉川英治の小説、中国の後漢末から三国時代(紀元2世紀末〜3世紀)の歴史や英雄たちを描いた壮大な物語です。 【三国志について】 ・概要と時代背景  三国志は、後漢の末期(約180年頃)に起こった黄巾の乱を発...

三国志 地名
3 days ago
この一戦

一  その後、蜀の大軍は、白帝城もあふるるばかり駐屯していたが、あえて発せず、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と江北の動静をうかがっていた。  ときに諜報があって、 「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を...

出師の巻 本文 三国志
3 days ago
荊州往来

一  周瑜は、その後も柴桑にいて瘡養生をしていたが、勅使に接して、思いがけぬ叙封の沙汰を拝すると、たちまち病も忘れて、呉侯孫権へ、次のような書簡をしたためて送った。 天子、詔を降して、いま不肖周瑜に、南郡の太守に封ずとの恩命があり...

本文 望蜀の巻 三国志
3 days ago