荊州(けいしゅう)とは、中国の古代行政区画のひとつであり、三国志の舞台となる重要な地域です。 荊州は、中国中南部の長江流域に広がる広大な地域で、現在の湖北省・湖南省・広東北部・江西西部などに相当します。地形としては長江が貫流し肥沃な...
一 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道...
一 かねて董承に一味して、義盟に名をつらねていた西涼の太守馬騰も、玄徳が都を脱出してしまったので、 「前途はなお遼遠――」 と見たか、本国に胡族の襲来があればと触れて、にわかに、西涼へさして帰った。 時しも建安四年...
一 「あら、なつかしの文字」 玄徳は、孔明の書簡をひらくと、まずその墨の香、文字の姿に、眸を吸われてから、読み入った。 龐統はその側にいた。 側に人のいるのも忘れて、玄徳は繰り返し繰り返し、孔明の書簡に心をとられて...
一 秋七月。魏の曹真は、 「国家多事の秋。久しく病に伏して、ご軫念を煩わし奉りましたが、すでに身も健康に復しましたゆえ、ふたたび軍務を命ぜられたく存じます」 と、朝廷にその姿を見せ、また表を奉って、 ――秋すずしく...
一 旋風のあった翌日である。 襄陽城の内で、蒯良は、劉表のまえに出て、ひそかに進言していた。 「きのうの天変は凡事ではありません。お気づきになりましたか」 「ムム。あの狂風か」 「昼の狂風も狂風ですが、夜に入って...
建寧(けんねい)とは、中国・後漢時代の元号のひとつです。 建寧は、後漢の第12代皇帝・霊帝(れいてい)の時代の元号で、西暦168年から172年までの期間を指します。霊帝は、宦官政治が横行し、政治の腐敗が極まった時代の皇帝であり、この...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 実に、とんでもない漢を、推薦してしまったというほかはない。人の推挙などというものは、うっかりできないものである――と、ひとり恐れ悔いて、当惑の色ありありと見えたのは、禰衡を推挙した孔融であった。 その日、そのせいか、孔融...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 牛渚(安徽省)は揚子江に接して後ろには山岳を負い、長江の鉄門といわれる要害の地だった。 「――孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」 と、聞え渡ると、劉繇は評議をひらいて、さっそく牛渚の砦へ、兵糧何十万石を送りつけ、...
一 「袁術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」 淮南の使いを追い返したあとで、孫策はひとりおかしがっていた。 しかし、また一方、 「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」 とも思われたので、...
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
一 昼は人目につく。 董承は或る夜ひそかに、密詔をふところに秘めて頭巾に面をかくして、 「風雅の友が秦代の名硯を手に入れたので、詩会を催すというから、こよいは一人で行ってくる」 と、家人にさえ打明けず、ただ一人驢に...
一 蟠桃河の水は紅くなった。両岸の桃園は紅霞をひき、夜は眉のような月が香った。 けれど、その水にも、詩を詠む人を乗せた一艘の舟もないし、杖をひいて逍遥する雅人の影もなかった。 「おっ母さん、行ってきますよ」 「ああ、...
一 その後、日を経て、董卓の病もすっかりよくなった。 彼はまた、その肥大強健な体に驕るかのように、日夜貂蝉と遊楽して、帳裡の痴夢に飽くことを知らなかった。 呂布も、その後は、以前よりはやや無口にはなったが、日々精勤して...
一 曹操は、さらにこう奏上して、帝に誓った。 「生を国土にうけ、生を国恩に報ぜんとは、臣が日頃から抱いていた志です。今日、選ばれて、殿階の下に召され、大命を拝受するとは、本望これに越したことはありません。――不肖、旗下の精兵二...
一 劉岱、王忠は、やがて許都へたち還ると、すぐ曹操にまみえて、こう伏答した。 「玄徳にはなんの野心もありません。ひたすら朝廷をうやまい、丞相にも服しております。のみならず土地の民望は篤く、よく将士を用い、敵のわれわれに対してす...
一 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。 董卓は、そこの衛兵に、 「監視を怠るな」と厳命しておいた...
一 「違わぬ違わぬ」 孫策は、振向きもしない。 供の諸将は、怪しんで、 「味方の陣地は、北の道を降りるのですが」と、重ねていうと、 「だから南へ降りるのだ。ここまで来て、空しく北へ降りるのは遺憾千万ではないか。…...
一 ――一時、この寿春を捨て、本城をほかへ遷されては。 と、いう楊大将の意見は、たとえ暫定的なものにせよ、ひどく悲観的であるが、袁術皇帝をはじめ、諸大将、誰あって、 「それは余りにも、消極策すぎはしないか」と、反対する者...
一 義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。 (よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはも...
一 「ああ危なかった」 虎口をのがれたような心地を抱えて、董承はわが邸へいそいだ。 帰るとすぐ、彼は一室に閉じこもって、御衣と玉帯をあらためてみた。 「はてな。何物もないが?」 なお、御衣を振い、玉帯の裏表を調...
一 涿県の楼桑村は、戸数二、三百の小駅であったが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢をつなぐので、酒を売る旗亭もあれば、胡弓を弾くひなびた妓などもいて相当に賑わっていた。 この地はまた、太守劉焉の...
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...