一 呉は、たちまち出て、たちまち退いた。呉の総退却は、呉の弱さではなく、呉の国策であったといってよい。 なぜならば、呉は、自国が積極的に戦争へ突入する意志をもともと持っていないのである。蜀をして魏の頸を咬ませ、魏をして蜀の喉...
涿県(たくけん)とは、中国の河北省中南部に位置する歴史的な地名である。三国志の物語が始まる重要な舞台となった場所であり、特に劉備玄徳の出生地として有名である。劉備はこの涿県の楼桑村で代々農を営む家に生まれ、その出自には諸葛亮の後に語る...
一 「ここは奥書院、俗吏は出入りしませんから、しばし静談しましょう。さあ、お着席ください」 楊修は、張松へ座をすすめ、自ら茶を煮て、遠来の労を慰めた。 「蜀道は天下の嶮岨とうけたまわる。都まで来るには、ひとかたならぬご辛苦...
一 冬をこえて南枝の梅花のほころぶを見るとともに、董家の人々も眉をひらいた。近ごろ主人の董承はすっかり体も本復して、時おり後閣の春まだ浅い苑に逍遥する姿などを見かけるようになったからである。 「……雁が帰る。燕が来る。春は歩い...
一 江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、 小覇王孫郎 の位置は、確固たるものになった。 諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろ...
一 この暁。 洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っていた。 次々と着いてくる早馬は、武衛門の楊柳に、何頭となくつながれて、心ありげに、いななきぬいていた。 「丞相、お目をさまして下さい」 李儒は、顔色をかえ...
一 一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。 当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。 曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご...
一 「呉の孫堅が討たれた」 耳から耳へ。 やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞えてきた。 董卓は、手を打って、 「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。彼の嫡男孫策はまだ幼年だし……」 ...
一 後漢の建寧元年のころ。 今から約千七百八十年ほど前のことである。 一人の旅人があった。 腰に、一剣を佩いているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉は秀で、唇は紅く、とりわけ聡明そうな眸や、豊かな頬をしてい...
孔子(こうし)とは、春秋時代の中国に実在した思想家・教育者。本名は孔丘(こうきゅう)、字は仲尼(ちゅうじ)。魯国に生まれ、儒家の始祖として知られ、後の中国はもちろん東アジアの思想・政治・文化に大きな影響を与えた。 三国志の時代(後漢...
一 いっさんに馳けた玄徳らは、ひとまず私宅に帰って、私信や文書の反故などみな焼きすて、その夜のうちに、この地を退去すべくあわただしい身支度にかかった。 官を捨てて野に去ろうとなると、これは張飛も大賛成で、わずかの手兵や召使い...
一 今は施すすべもない。なにをかえりみているいとまもない。業火と叫喚と。 そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。 火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。 ...
青州(せいしゅう)とは、中国の三国志時代に登場する古代中国の地域名です。 青州は現在の山東省北部付近を中心に位置していました。この地は漢王朝時代から州として置かれ、三国時代においてもその名がしばしば登場します。経済的には豊かな穀倉地...
一 幾日かをおいて、玄徳は、きょうは先日の青梅の招きのお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。 関羽、張飛は口をそろえて、 「曹操の心根には、なにがひそんでいるか知れたものではない。才長けた奸雄の兇門へは、こっちから...
一 七夕の宵だった。 城内の街々は、紅燈青燈に彩られている。 荊州の城中でも、毎年の例なので、孔明は、主君玄徳の留守ながら、祭を営み、酒宴をもうけて、諸大将をなぐさめていた。 すると、夜も更けてきた頃、一つの大き...
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
一 さきに街亭の責めを負うて、孔明は丞相の職を朝廷に返していた。今度、成都からの詔書は、その儀について、ふたたび旧の丞相の任に復すべしという、彼への恩命にほかならなかった。 「国事いまだ成らず、また以後、大した功もないのに、何...
劉備(りゅうび)とは 劉備は、中国三国時代の蜀(しょく、蜀漢)の初代皇帝となった人物です。三国志の物語世界において最も親しまれている英雄の一人であり、その生き様は現代に至るまで多くの読者の共感を呼び続けています。 生涯 劉備は...
一 蜀を破ったこと疾風迅雷だったが、退くこともまた電馳奔来の迅さであった。で、勝ち驕っている呉の大将たちは、陸遜に向って、 「せっかく白帝城へ近づきながら石の擬兵や乱石の八陣を見て、急に退いてしまったのは、一体いかなるわけです...
劉焉(りゅうえん)とは、中国後漢末期の武将・政治家。漢王朝の皇族の一員であり、三国志の序盤で蜀の地(益州)を支配したことで知られる。 生涯 劉焉は、もとは朝廷で活躍した文官で、のちに天下が乱れた時代、漢王朝の内部抗争を逃れる...
一 呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。 浙江一帯の沿海を持つばかりでなく、揚子江の流域と河口を扼し、気温は高く天産は豊饒で、いわゆる南方系の文化と北方系の文化との飽和によって、宛然たる呉国色をここ...
一 蜀の玄徳は、一日、やや狼狽の色を、眉にたたえながら、孔明を呼んで云った。 「先生の兄上が、蜀へ来たそうではないか」 「昨夜、客館に着いたそうです」 「まだ会わんのか」 「兄にせよ、呉の国使として参ったもの。孔明...
一 この日、曹操は景山の上から、軍の情勢をながめていたが、ふいに指さして、 「曹洪、曹洪。あれは誰だ。まるで無人の境を行くように、わが陣地を駆け破って通る不敵者は?」 と、早口に訊ねた。 曹洪を始め、そのほか群将も...
一 永安城の李厳は、増産や運輸の任に当って、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。 今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。 近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ...
一 魏の兵が大勢して仔馬のごとく草原に寝ころんでいた。 一年中で一番季節のよい涼秋八月の夜を楽しんでいるのだった。 そのうちに一人の兵が不意に、あっといった。 「やっ。何だろう?」 また、ひとりが指さし、その...