陶謙(とうけん)とは 後漢末の武将・政治家で、徐州刺史を務めた人物。劉備を庇護したことで知られる。字は恭祖(きょうそ)。 生涯 陶謙は人望が厚く、後漢の末期に徐州を治めていた。黄巾賊の乱や群雄の割拠に直面しつつも、領...
衛弘(えいこう)とは 吉川英治『三国志』に登場する人物で、河南でも屈指の財産家として描かれる。史実の正史『三国志』にはほとんど記録がなく、吉川版での創作的な役割が強い。 人物像 河南の豪商として描かれ、若き日の曹操に...
曹嵩(そうすう)とは 後漢末の武将・政治家曹操の父。字は巨高(きょこう)。もともとは宦官の養子であり、曹操の家柄をめぐって後世にさまざまな評価が残っている。 生涯 曹嵩は後漢の宦官・曹騰(そうとう)の養子となり、その...
曹操孟徳(そうそう もうとく)とは 曹操は後漢末から三国時代初期にかけて活躍した群雄で、魏の基礎を築いた人物である。字は孟徳(もうとく)。その才能と多面性から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される。 魏王(ぎおう)とは ...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...