張梁
張梁(ちょうりょう)とは、後漢末の中国で活動した宗教結社「太平道」の重要な指導者の一人です。
彼は黄巾の乱の指導者であり、特に三人兄弟のうちの一人としてその名が知られています。兄に張角(ちょうかく)、弟に張宝(ちょうほう)がいて、三兄弟で「天公将軍」(張角)、「地公将軍」(張宝)、「人公将軍」(張梁)とそれぞれ称しました。張梁はこのうちの「人公将軍」を名乗りました。
生涯については、張梁は兄の張角のもとで「太平道」の布教や組織運営を担い、黄巾の乱が勃発すると大規模な民衆蜂起の一翼を担います。黄巾の乱は農民と宗教運動の融合による反乱で、後漢王朝を大きく揺るがせる出来事でした。しかし、やがて官軍の反撃に遭い、兄弟ともども戦死ないし捕えられて殺されました。張梁自身も各地を転戦した末に、最期は官軍に討ち取られたとされています。
張梁の人物像として、資料では兄ほど目立った宗教的カリスマ性は強調されませんが、中心となって蜂起軍をまとめ上げる統率者の一人であり、勇壮な行動派の印象を与えます。
兄弟の張角は「太平道」の開祖としてカリスマ的な予言者、張宝は弟で同じく指導者の一人です。この三兄弟の協力と連携が、黄巾の乱の規模拡大を招きました。
有名なエピソードとしては、兄らとともに「蒼天已死、黄天当立、歳在甲子、天下大吉」(蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし、歳は甲子にあり、天下大吉)というスローガンを掲げ、民衆を鼓舞し大乱を引き起こしたことが特筆されます。
吉川英治の三国志と史実では、黄巾の乱と張梁兄弟の描かれ方には若干の脚色やドラマ性の付与がありますが、大筋として兄弟が黄巾の乱の核となった点は共通しています。
張梁は、「三国志」が始まるきっかけとなる歴史的な事件の最前線に立つ存在であり、彼の行動は後の時代の英雄たちを生み出す土壌を作ることとなりました。