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報恩一隻手

一  顔良の疾駆するところ、草木もみな朱に伏した。  曹軍数万騎、猛者も多いが、ひとりとして当り得る者がない。 「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのさまぞ。――だれか討ち取るものはいないか」  曹操は、本陣の高所に...

臣道の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
蜀また倣う

一  曹丕が大魏皇帝の位についたと伝え聞いて、蜀の成都にあって玄徳は、 「何たることだ!」と、悲憤して、日夜、世の逆しまを痛恨していた。  都を逐われた献帝は、その翌年、地方で薨去せられたという沙汰も聞えた。玄徳はさらに嘆き...

出師の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
呂布

一  洛陽の余燼も、ようやく熄んだ。  帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。  何太后は、帝を迎えると、 「おお」  と、共に相擁したまま、しばらくは嗚咽にむせんでいた。  そして太后はすぐ、 ...

本文 桃園の巻 三国志
約2ヶ月 ago
匈奴

匈奴(きょうど)とは、中国の北方に広がった広大な草原地帯に暮らした、遊牧民族の呼び名である。紀元前3世紀から4世紀ごろにかけて活動が顕著で、特に中国の前漢時代には強大な部族連合国家を築き、中華王朝にとって長く脅威となった。匈奴の支配領...

一般 三国志
約2ヶ月 ago
玄徳冀州へ奔る

一  小沛の城は、いまや風前の燈火にも似ている。  そこに在る玄徳は、痛心を抱いて、対策に迫られている。  孫乾は冀州から帰ってきたものの、その報告は何のたのみにもならないものである。彼は明らかに周章していた。 「家兄。...

臣道の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
敵中作敵

一  韓遂の幕舎へ、ふいに、曹操の使いが来た。 「はて。何か?」  使いのもたらした書面をひらいてみると曹操の直筆にちがいなく、こうしたためてある。 君ト予トハ元ヨリ仇デハナク、君ノ厳父ハ、予ノ先輩デアリ、長ジテハ、君ト知...

本文 望蜀の巻 三国志
約2ヶ月 ago
吉川英治

吉川英治(よしかわ えいじ)とは、日本の小説家であり、歴史・時代小説の大家として知られています。 生没年:1892年(明治25年)~1962年(昭和37年)  本名:吉川英次(よしかわ ひでつぐ) 代表作には以下のようなものが...

人物名 三国志
約2ヶ月 ago
豆を蒔く

一  自国の苦しいときは敵国もまた自国と同じ程度に、或いはより以上、苦しい局面にあるという観察は、たいがいな場合まず過りのないものである。  その前後、魏都洛陽は、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。  それは、...

五丈原の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
冀州

冀州(きしゅう)とは、中国の歴史上の地名であり、古代から存在する九州の一つです。三国志の舞台となる時代には、北方に位置する広大な地域を指していました。 冀州は、黄河中流から河北平原西部にかけて広がる地帯であり、現在の河北省を中心に、...

地名 三国志
約2ヶ月 ago
食客

一  北方攻略の業はここにまず完成を見た。  次いで、曹操の胸に秘められているものは、いうまでもなく、南方討伐であろう。  が、彼は、冀州城の地がよほど気に入ったとみえて、ここに逗留していること久しかった。  一年余の工...

孔明の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
知己

知己(ちき)とは、互いの心や考えをよく理解し合う間柄、またはそのような親友や知人のことを指します。三国志においてこの言葉は、人間関係の深さや絆の象徴としてしばしば用いられます。たとえば、劉備と諸葛亮の関係がその代表例であり、単なる主従...

三国志 人名
約2ヶ月 ago
孔明・三擒三放の事

一  孟獲は山城に帰ると、諸洞の蛮将を呼び集めて、 「きょうも孔明に会って来た。あいつは俺が縛られて行っても、俺を殺すことができないのだ。なぜかといえば、俺は不死身だからな。奴らの刃を咬み折り、奴らの陣所を蹴破って帰るぐらいな芸...

出師の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
朝の月

一  七日にわたる婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国中まで、 「めでたい。めでたい」  と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、 「何たることだ」と、予想の逆転と、計の齟齬に、鬱憤のやりばもなく、仮病をと...

本文 望蜀の巻 三国志
約2ヶ月 ago
蜀山遠し

一  閑話休題――  千七百年前の支那にも今日の中国が見られ、現代の中国にも三国時代の支那がしばしば眺められる。  戦乱は古今を通じて、支那歴史をつらぬく黄河の流れであり長江の波濤である。何の宿命かこの国の大陸には数千年のあ...

出師の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
金雁橋

一  孔明が荊州を立つときに出した七月十日附の返簡の飛脚は、やがて玄徳の手にとどいた。 「おう、水陸二手にわかれ、即刻、蜀へ急ぐべしとある。――待ち遠しや、孔明、張飛のここにいたるは何日」  涪城に籠って、玄徳は、行く雲にも...

本文 三国志 遠南の巻
約2ヶ月 ago
新野を捨てて

一  百万の軍旅は、いま河南の宛城(南陽)まで来て、近県の糧米や軍需品を徴発し、いよいよ進撃に移るべく、再整備をしていた。  そこへ、荊州から降参の使いとして、宋忠の一行が着いた。  宋忠は、宛城の中で、曹操に謁して、降参の...

本文 三国志 赤壁の巻
約2ヶ月 ago
尉霊大望

一  奮迅奮迅、帰るも忘れて、呉の勢を追いかけた関興は、その乱軍のなかで、父関羽を殺した潘璋に出会ったのである。  やわか遁すべき――逃げ走る潘璋を追ってついに山の中まで入ってしまった。が、その仇は惜しや見失ってしまい、道に迷っ...

出師の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
五関突破

一  胡華の家を立ってから、破蓋の簾車は、日々、秋風の旅をつづけていた。  やがて洛陽へかかる途中に、一つの関所がある。  曹操の与党、孔秀というものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。 「ここは三州第一の要害...

孔明の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
恋の曹操

一  小沛、徐州の二城を、一戦のまに占領した曹操の勢いは、旭日のごときものがあった。  徐州には、玄徳麾下の簡雍、糜竺のふたりが守っていたが、城をすててどこかへ落ち去ってしまい、あとには陳大夫、陳登の父子が残っていて、内から城門...

臣道の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
曹操死す

一  せっかく名医に会いながら、彼は名医の治療を受けなかった。のみならず華陀の言を疑って、獄へ投じてしまったのである。まさに、曹操の天寿もここに尽きるの兆というほかはない。  ところが、典獄の呉押獄は、罪なき華陀の災難を気の毒に...

出師の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
殺地の客

一  孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の出師は思いどおり実現された。孔明はあらためて孫権に暇を告げ、その日、すこし遅れて一艘の軍船に身を託していた。  同舟の人々は、みな前線におもむく将士である。中に、程普、魯粛の二将も...

本文 三国志 赤壁の巻
約2ヶ月 ago
休戦

一  曹操は百戦練磨の人。孫権は体験少なく、ややもすれば、血気に陥る。  いまや、濡須の流域をさかいとして、魏の四十万、呉の六十万、ひとりも戦わざるなく、全面的な大激戦を現出したが、この、天候が呉に利さなかったといえ、呉は主将孫...

本文 三国志 遠南の巻
約2ヶ月 ago

一  荊州の本城は実に脆く陥ちた。関羽は余りに後方を軽んじ過ぎた。戦場のみに充血して、内政と防禦の点には重大な手ぬかりをしていた嫌いがある。  烽火台の備えにたのみすぎていたこともその一つだが、とりわけまずいのは、国内を守る人物...

出師の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
漢中王に昇る

一  魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、玄徳の蜀軍が、この地方を風靡した。  上庸も陥ち、金城も降った。  申耽、申儀などという旧漢中の豪将たちも、 「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の麾下へ、降人とな...

本文 三国志 遠南の巻
約2ヶ月 ago
降参船

一 「この大機会を逸してどうしましょうぞ」  という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、 「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。 「甘寧にござりますが」 「おお、来たか」 ...

本文 望蜀の巻 三国志
約2ヶ月 ago