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New Word健啖天下一
一 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道...
偽帝の末路
一 かねて董承に一味して、義盟に名をつらねていた西涼の太守馬騰も、玄徳が都を脱出してしまったので、 「前途はなお遼遠――」 と見たか、本国に胡族の襲来があればと触れて、にわかに、西涼へさして帰った。 時しも建安四年...
兇門脱出
一 幾日かをおいて、玄徳は、きょうは先日の青梅の招きのお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。 関羽、張飛は口をそろえて、 「曹操の心根には、なにがひそんでいるか知れたものではない。才長けた奸雄の兇門へは、こっちから...
冀州
冀州(きしゅう)とは、中国の歴史上の地名であり、古代から存在する九州の一つです。三国志の舞台となる時代には、北方に位置する広大な地域を指していました。 冀州は、黄河中流から河北平原西部にかけて広がる地帯であり、現在の河北省を中心に、...
白馬将軍
一 さて、その後。 ――焦土の洛陽に止まるも是非なしと、諸侯の兵も、ぞくぞく本国へ帰った。 袁紹も、兵馬をまとめて一時、河内郡(河南省・懐慶)へ移ったが、大兵を擁していることとて、立ちどころに、兵糧に窮してしまった。 ...
霹靂車
一 呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。 国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...
兄弟再会
一 その晩、山上の古城には、有るかぎりの燭がともされ、原始的な音楽が雲の中に聞えていた。 二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。 「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、ご安心くださるように」 ...
競う南風
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...
北客
一 ようやく許都に帰りついた曹操は帰還の軍隊を解くにあたって、傍らの諸将にいった。 「先頃、安象で大敵に待たれた時、見つけない一名の将が手勢百人たらずを率い、予の苦戦を援けていたが、さだめし我に仕官を望む者であろう。いずれの隊...
秋雨の頃
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...