劉備玄徳

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劉備玄徳(りゅうび げんとく)とは
劉備玄徳は、三国志の主要人物の一人であり、蜀漢の建国者で初代皇帝(昭烈帝)となった人物である。字は玄徳後漢の宗室の末裔を自称し、仁義を重んじた姿勢から「仁君」として広く知られる。吉川英治三国志』においても、曹操孫権と並ぶ三国志の三大英雄の一人として描かれる。
 
 
劉備玄徳(りゅうび げんとく)
劉備玄徳」と表記する場合は、本名の「劉備」と字(あざな)の「玄徳」を合わせて呼んでいる。
つまり「姓+名+字」を並べた呼び方で、やや正式・説明的な表現となる。小説や歴史解説などで「劉備玄徳」とまとめて書かれることが多い。
 
劉玄徳(りゅう げんとく)
こちらは「劉備」の名を省略して、字「玄徳」で呼んだもの。中国では字で呼ぶのが一般的で、親しい間柄や同時代人の口から出る場合には「玄徳」となる。文中での呼称や人物紹介にもよく用いられる。
 
皇叔(りゅう こうしゅく)とは
皇叔」は皇帝の叔父という意味で、劉備後漢の宗室の末裔であることを強調する称号である。実際に劉備後漢皇室とどれほど近い血筋かは不明瞭だが、自らを皇室の一族と称することで正統性を主張した。
後漢献帝から見れば遠い親戚筋にあたり、「皇叔」という呼び方は劉備を尊重し、漢室の血統を受け継ぐ人物として扱った表現である。吉川英治三国志』でも、劉備の正統性や仁義を強調する場面で「皇叔」という呼称が使われる。
 
昭烈帝(しょうれつてい)とは
昭烈帝は、劉備が没後に贈られた諡号(しごう)である。中国の皇帝は死後に功績や人柄を表す漢字を組み合わせた「諡号」を贈られるのが慣例で、劉備の場合は「昭烈」という諡が与えられた。
「昭」は明らかにする、「烈」は烈しい功績を意味し、「昭烈帝」とは「功績を顕した烈しい帝」という意味合いになる。蜀漢の皇帝としての正式な廟号はなく、歴史上では「蜀の昭烈帝」として記録される。
この諡号は、劉備が漢の正統を掲げて蜀を建国し、義を重んじて戦った生涯を称えたものである。
 
生涯
劉備は涿郡涿県(現在の河北省涿州市)の生まれで、織物業を営む家に育ったとされる。後漢皇室の血を引くと称していたが、実際には貧しい家の出であった。
黄巾の乱が起こると義勇兵を募り、関羽張飛とともに挙兵した。これが「桃園の誓い」として有名であり、劉備の生涯を象徴する出発点である。
 
その後は各地の群雄を転々とし、袁紹曹操劉表らのもとを渡り歩きながら勢力を築いていった。曹操とは一時的に共闘することもあったが、根本的には対立関係にあった。
赤壁の戦い(208年)で孫権諸葛亮らと共に曹操を破り、荊州南部を得て勢力を拡大。さらに劉璋を攻めて益州を平定し、成都を都とした。221年、漢王朝の正統を継ぐとして即位し、蜀漢を建国する。
しかし翌年、義弟・関羽を孫呉に討たれたことを契機に呉へ大規模な遠征を行ったが、夷陵の戦い(222年)で大敗し、白帝城に退いた。翌223年、病により死去した(享年63)。その後、蜀漢劉禅が継いだ。
 
人物
劉備は「仁徳の人」として知られる。常に民や部下を思いやり、義を重んじる姿勢を貫いたことで多くの人材を惹きつけた。容姿については「耳が肩まで垂れ、手が膝まで届く」と伝えられ、非凡な外見を持っていたとされる。
ただしその仁義の裏には現実主義的な柔軟さもあり、状況に応じてしたたかに生き残った。理想と現実を兼ね備えた人間味あふれる人物像が、劉備を「人望の英雄」として際立たせている。
 
妻子・血縁
妻には甘夫人・孫夫人(孫権の妹)などがいる。
子は劉禅(後継ぎとなった蜀漢二代皇帝)ほか、劉永・劉理らがいる。劉禅は「阿斗」と呼ばれ、後世では暗愚な皇帝の代名詞とされる。
 
関連する人物
関羽張飛(義兄弟であり生涯の支柱)
諸葛亮(劉備の三顧の礼に応じ、蜀漢の基盤を築いた軍師)
趙雲(忠勇の将)
曹操(最大の宿敵でありながら、一時的には庇護も受けた)
孫権(同盟と対立を繰り返した)
劉禅(後継者)
 
有名なエピソード
・「桃園の誓い」:関羽張飛と義兄弟の契りを結び、共に漢室のために尽くすと誓った。
・「三顧の礼」:諸葛亮を自ら三度訪ねて迎え入れた。劉備の謙虚さと人材登用の姿勢を象徴する。
・「夷陵の戦い」:関羽の仇討ちのために呉へ大遠征を行ったが大敗し、これが晩年の悲劇となった。
・「白帝城の託孤」:死の床で諸葛亮に劉禅を託した名場面。
 
吉川英治三国志での扱われ方と史実との違い
吉川英治三国志』では、劉備は「義と仁」を体現する理想のリーダーとして描かれる。常に民を思い、義兄弟や臣下を大切にする姿勢が強調され、曹操の「権謀術数」と対比されることで、より清廉な人物像として浮かび上がる。
史実の劉備も仁義を重んじた人物とされるが、実際には現実主義的な側面も多く、時には非情な決断を下した。文学作品における劉備は、史実以上に「理想の君主」として脚色されている。
「劉備玄徳」の基本情報
総登場回数
2855回
活動期間
10巻にわたって登場
初回登場
桃園の巻
最終登場
五丈原の巻
最も活躍した巻
桃園の巻 (558回登場)
「劉備玄徳」登場回数
合計: 2855回
0 139 279 418 558 558 桃園の巻 135 群星の巻 279 草莽の巻 371 臣道の巻 385 孔明の巻 264 赤壁の巻 367 望蜀の巻 307 図南の巻 180 出師の巻 9 五丈原の巻
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