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樊稠

樊稠(はんちゅう)とは、董卓の死後に台頭した李傕・郭汜・張済らと並ぶ「四将」の一人で、長安を制圧したのち右将軍に任ぜられた武将です。やがて宴席で李傕に「裏切者」と断じられ、密告と疑心暗鬼の果てにその場で斬られます 。 生涯 ...

三国志 人名
29日 ago
関羽雲長

関羽雲長(かんう うんちょう)とは 三国志を代表する武将のひとりで、劉備玄徳に仕えた義兄弟。字は雲長。中国史上、武勇と義理を象徴する人物として後世に神格化され、関帝・関聖帝君として祀られる。 生涯 関羽は山西(并州)...

人名
約1ヶ月 ago
丁原

丁原(ていげん)とは 後漢末の武将で、并州刺史を務めた人物。呂布奉先の最初の主君として知られる。 生涯 并州の出身で、後漢末に并州刺史となり、辺境の軍を率いていた。黄巾の乱の鎮圧でも功をあげ、名声を得る。 し...

三国志 人名
約1ヶ月 ago
并州

并州(へいしゅう)とは 中国の古代行政区画のひとつで、現在の山西省を中心に河北・内モンゴルの一部を含む地域を指す。三国志の時代、黄河の上流に近く、北方の騎馬民族との境に位置するため、常に辺境として軍事的に重要視された。 生涯...

地名 三国志
約1ヶ月 ago
呂布奉先

呂布(りょふ)、字は奉先(ほうせん)とは 呂布は後漢末期の武将で、中国史上屈指の猛将として名高い人物。字(あざな)は奉先。裏切りと豪勇で知られ、「人中に呂布、馬中に赤兎」と称された。 生涯 呂布は并州五原郡九原(現在...

人名
約1ヶ月 ago
自壊闘争

一  玄徳が、その一族と共に、劉表を頼って、荊州へ赴いたのは、建安六年の秋九月であった。  劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに疎遠の情をのべてから、 「この後は、長く唇歯の好誼をふかめ、共々、漢室の宗親たる範を天下に垂れん」...

孔明の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
呂布

一  洛陽の余燼も、ようやく熄んだ。  帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。  何太后は、帝を迎えると、 「おお」  と、共に相擁したまま、しばらくは嗚咽にむせんでいた。  そして太后はすぐ、 ...

本文 桃園の巻 三国志
約2ヶ月 ago
霹靂車

一  呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。  国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...

孔明の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
野に真人あり

一  亡国の最後をかざる忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。  審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。 「せめて、故主の城址に、その屍でも葬ってやろう」  冀州の城北に、墳を建て、彼は手厚く祠られた。  建安九...

孔明の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
十面埋伏

一  袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。  黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。  ...

孔明の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
大権転々

一  西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。  郿塢の城から敗走した大軍だった。  董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 「伏して、赦を乞う」 ...

群星の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
太医吉平

一  そのむかし、まだ洛陽の一皇宮警吏にすぎなかった頃、曹操という白面の青年から、おれの将来を卜してくれといわれて、 「おまえは治世の能臣だが、また乱世の奸雄だ」  と予言したのは、洛陽の名士許子将という人相観だった。 ...

臣道の巻 本文 三国志
約2ヶ月 ago
北客

一  ようやく許都に帰りついた曹操は帰還の軍隊を解くにあたって、傍らの諸将にいった。 「先頃、安象で大敵に待たれた時、見つけない一名の将が手勢百人たらずを率い、予の苦戦を援けていたが、さだめし我に仕官を望む者であろう。いずれの隊...

本文 草莽の巻 三国志
約2ヶ月 ago