諸葛亮の北伐
冒頭
諸葛亮の北伐(しょかつりょうのほくばつ)とは、蜀漢の丞相・諸葛亮(孔明)が、漢中から魏の関中・中原方面へ軍を進め、長安などの要地を圧して国勢の転換を図ろうとした一連の遠征作戦です。蜀軍が沔陽まで進出して魏の長安布陣の情報を得、行軍の節目に馬超の墓を祭る場面も描かれます。
概要
北伐の大義は、魏と「賊」とは両立せず、偏安をよしとしないという主戦の論理として示され、後主劉禅に奉る「後出師表」によって再出兵の決意が披瀝されます。 作戦面では、補給と兵力差を前提に、正面決戦を避けて誘導・持久を重んじる局面が強調されます。
経過
序盤には街亭の配置をめぐる失策と敗報が連なり、孔明がそれを自責する展開が置かれます。 その後、建興七年四月の祁山方面では、蜀の孔明と魏の司馬懿(仲達)が大軍を率いて正面対峙し、両雄の用兵が主軸となります。 また魏延が子午谷を衝いて長安を急襲する奇策を献じるが採用されない、という軍議も北伐の性格を示す要素です。
兵站と戦法
兵糧輸送の手段として木牛流馬が多数造られ、剣閣から祁山へ大量輸送が始まることで、蜀軍の作戦持続力を補う装置として位置づけられます。 終盤では孔明が五丈原へ陣を移し、武功方面の危険な賭けを避けて持久長攻に便な地を選ぶ判断が語られます。
史実との違い