兗州
兗州(えんしゅう)とは、中国・後漢末期から三国時代にかけて存在した行政区画の一つです。
兗州の歴史
兗州は古代中国における九州の一つとされ、黄河流域の中原地帯に位置していました。戦国時代には斉や魏などがその一部を支配しましたが、漢代になると正式な州制が施行され、その地は兗州と呼ばれます。後漢末期、群雄が割拠する時代になると、兗州は軍事・政治の要衝として重要な土地となりました。
三国志の物語では、兗州はしばしば曹操の本拠地として描かれます。彼は董卓討伐軍から一時離脱したのち、父の敵討ちを果たす過程で兗州を手中に収め、ここを根拠地に勢力を拡大していきました。この地方の支配が、後の魏王朝の基盤を形作ることになります。
関連する人物
兗州と特に深く結びつくのが曹操です。曹操は兗州牧になることで勢力を安定させ、名将・荀彧や多くの有力武将をここで配下に迎え入れます。また、呂布も一時この地を奪取し、曹操と激しい攻防を繰り広げています。
まとめ
兗州は後漢末から三国志時代にかけて、数々の英雄たちがその支配を争った地域であり、物語の重要な舞台のひとつです。曹操の一大勢力が形作られたこの州は、三国志の中で政争・合戦の要となっています。