張楊

張楊(ちょうよう)とは
後漢末の群雄の一人。吉川英治三国志』では、反董卓連合に加わった諸侯の一人として名が挙がり、その後は呂布と縁を結ぶが、やがて配下に殺される人物として描かれる 。
 
生涯
董卓連合の時期、諸侯の一角として名を連ねる。連合軍の将として虎牢関呂布と対峙した章でも、張楊の旗下に名槍家・穆順がいたと記され、前線に兵を出していたことがうかがえる 。のちに作中では「河内の張楊」として言及され、呂布と交誼があるため後詰として動いたが、配下の楊醜に急襲されて討たれ、その直後に眭固が楊醜を討つという混乱に発展したと報じられる 。
 
人物
武名そのものよりも、配下を率いる諸侯として描かれ、旗下には腕利きの武将もいた。穆順の名が挙がる場面は、張楊の陣営が決して弱小ではなかったことを示している 。
 
関連する人物
呂布との交誼が物語上の転機として描かれ、張楊の死の場面でも呂布戦線の前後事情と絡めて報せが届く。曹操にとっては戦局を揺らす後方不安の一因として意識される存在でもあった 。
 
有名なエピソード
虎牢関の戦いの章で、張楊配下の穆順呂布に槍を断たれるくだりは、張楊軍の猛将でさえも呂布の圧に屈した象徴的挿話となっている 。
 
吉川英治三国志での扱われ方と、史実と違う点
作中では「上党の太守張楊」とする呼称と、「河内の張楊」という呼び方が章によって現れ、版によっては所轄地名の表記が揺れる。いずれにせよ、連合参加の諸侯の一人として位置づけられ、最期は配下の楊醜に殺される筋立てで一致している 。史実でも反董卓連合への関与や部下の手にかかる最期が伝わるが、吉川版は戦場叙述の中で張楊の存在を、呂布の武名を際立たせる脇筋としてドラマ化している点に特色がある 。
「張楊」の基本情報
総登場回数
5回
活動期間
2巻にわたって登場
初回登場
群星の巻
最終登場
臣道の巻
最も活躍した巻
臣道の巻 (3回登場)
「張楊」登場回数
合計: 5回
0 0 1 2 3 0 桃園の巻 2 群星の巻 0 草莽の巻 3 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 28日前