菲才

菲才(ひさい)とは
「菲」は「うすい」「乏しい」という意味を持ち、「菲才」とは「取るに足らぬ才能」「つたない才」を表す言葉である。中国古典で広く用いられる謙遜表現で、自分の能力を控えめに述べるときに使われる。日本語でいえば「拙才」「愚才」に近い。
 
三国志における用例
吉川英治三国志』では、人物が自分をへりくだって語る場面で繰り返し使われている。
 
袁紹が「われ今、菲才をもって、首将の座に推さる」と述べ、才の乏しい自分が推戴されたと謙遜する。
 
・群星の巻「火星と金星
董昭が「菲才をもって、朝に出仕いたしております」と語り、自分の官途をへりくだって表現している。
 
・草莽の巻「吟嘯浪士
士人が劉備に仕える際、「もし菲才をお用いくださるなら」と述べ、自己を卑下しつつ忠誠を誓う。
 
孔明の巻「立つ鳥の声
ある人物が「それがし如き菲才を捨てて」と言い、より良き賢士を勧める。
 
孔明の巻「立春大吉
諸葛亮が「しかも菲才、ご期待にこたえる力がない」と述べ、劉備の誘いに謙虚に応じる。
 
孔明の巻「蜂と世子
劉備自身が「菲才玄徳ごときに」と、自らを卑下する場面が描かれる。
 
・赤壁の巻「蜀また倣う
諸葛亮が「菲才を以て君に仕え」と語り、劉備に仕えて十余年の自身の役割をへりくだって振り返る。
 
まとめ
「菲才」は、三国志の登場人物たちがしばしば用いる謙遜の言葉であり、人物の礼儀や立場を表現する重要な語である。自己卑下を通じて相手を立てることで、当時の士大夫社会の礼法や価値観を反映している。```
「菲才」登場回数
合計: 7回
0 0 1 2 3 0 桃園の巻 1 群星の巻 1 草莽の巻 0 臣道の巻 3 孔明の巻 1 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 1 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約1ヶ月前