菲才
菲才(ひさい)とは
「菲」は「うすい」「乏しい」という意味を持ち、「菲才」とは「取るに足らぬ才能」「つたない才」を表す言葉である。中国古典で広く用いられる謙遜表現で、自分の能力を控えめに述べるときに使われる。日本語でいえば「拙才」「愚才」に近い。
三国志における用例
・競う南風
袁紹が「われ今、菲才をもって、首将の座に推さる」と述べ、才の乏しい自分が推戴されたと謙遜する。
・群星の巻「火星と金星」
董昭が「菲才をもって、朝に出仕いたしております」と語り、自分の官途をへりくだって表現している。
・草莽の巻「吟嘯浪士」
士人が劉備に仕える際、「もし菲才をお用いくださるなら」と述べ、自己を卑下しつつ忠誠を誓う。
ある人物が「それがし如き菲才を捨てて」と言い、より良き賢士を勧める。
・赤壁の巻「蜀また倣う」
まとめ
「菲才」は、三国志の登場人物たちがしばしば用いる謙遜の言葉であり、人物の礼儀や立場を表現する重要な語である。自己卑下を通じて相手を立てることで、当時の士大夫社会の礼法や価値観を反映している。```