冒頭 娥皇(がこう)とは、中国上古の伝説にいう堯(ぎょう)の二人の娘の一人で、姉妹の女英(にょえい)とともに舜(しゅん)に嫁いだとされる人物です。 生涯 伝説では、堯が舜へ帝位を禅譲しようとした際、舜が固辞したため、...
冒頭 尚書令(しょうしょれい)とは、後漢末から三国期にかけて中枢官庁である尚書台・尚書省を統轄し、詔勅や行政文書の処理、官僚機構の運用を総覧した高位の官職です。 概要 尚書は本来、天子の文書実務を担う官ですが、制度の...
冒頭 辛毘(しんび)とは、河北の袁氏政権から曹操陣営へ転じ、のち魏の朝廷で諫官・侍中として君主をいさめた文官です。袁譚の使者として曹操に面会し、冀北攻略の急務を説いて進軍の方向転換を促す役を担います 。 生涯 袁譚...
冒頭 劉廙(りゅうい)とは、魏の朝廷で侍中を務め、曹丕への禅譲を推し進める動きに連署した文官です。 生涯 作中では、魏の譜代の官僚たちが瑞祥を口実に「受禅の大革」を唱え、漢帝から帝位を魏へ移すことを公然と議する段で名...
冒頭 華陰県(かいんけん)とは、後漢末の関中から洛陽方面へ向かう街道筋にある県で、帝の行幸路や軍勢の往来に現れる地名です。帝が長安を出て弘農へ還幸する途中、「御車が華陰県をすぐる頃」に追兵の喊声が迫り、郭汜の兵馬が追撃してくる...
冒頭 楊琦(ようき)とは、後漢末の動乱期に、漢帝の行幸を近侍して護衛・通行の指揮に当たった侍中郎です。 生涯 作中では、天子が弘農へ還幸する途上、覇陵橋の橋上で行手をふさぐ兵に対し、楊琦が馬を進めて「漢の天子の御車」...
冒頭 侍中郎(じちゅうろう)とは、後漢王朝の宮廷で天子の側近として仕え、禁中の内外にわたって奏聞や伝達、警護に関わった近侍系の官職です。作中では、献帝の行幸に随行する「侍中郎の楊琦」が、御車の前に出て兵を叱咤し、天子の車である...
冒頭 天文官(てんもんかん)とは、宮廷で天象を観測し、暦や星辰の異変を解釈して吉凶や政変の兆しとして君主や朝廷に報告する官人です。吉川英治『三国志』では、董卓が配下の天文官を呼び、黒気が月夜を貫いたといった異象の報告を受け、平...
冒頭 太政太師(だいじょうたいし)とは、漢王朝の朝廷で董卓が自ら称した、群臣の上位に立つことを誇示するための官職号です。位は人臣の極みにあるのに満足せず「太政太師と称していた」とされ、あわせて尚父(しょうふ)とも号して天子に近...
冒頭 伍瓊(ごけい)とは、後漢末に洛陽で董卓政権下の官人として登場する人物で、城門を管掌する校尉の職にあった者です。 生涯 董卓が朝廷を威圧して帝位廃立や政務を進める局面で、侍中の周毖、議郎の何顒らと並んで名を挙げら...
冒頭 侍中(じちゅう)とは、後漢から三国時代にかけて置かれた宮中の近侍官で、天子の側近として奏聞や助言、詔勅に関わる機密の取次ぎなどを担った官職です。作中では宮中の要職として、人物の政治的立場や中枢への近さを示す肩書きとして用...
冒頭 裴松之(はいしょうし)とは、南朝宋の官人・学者で、陳寿の史書「三国志」に大規模な注釈を施して本文と異説を併載し、後世に流通する「三国志」理解の基盤を作った人物です。史書としての「三国志」と、物語化された「演義三国志」とい...
冒頭 向寵(しょうちょう)とは、蜀漢に仕え、宮中の禁軍にあたる御林軍を統率した武将です。諸葛亮が北伐で成都を留守にするに際し、御林軍の司として「近衛大将」に任じられ、後主劉禅の身辺警護と宮城の守備を託された人物として描かれます...
一 秋七月。魏の曹真は、 「国家多事の秋。久しく病に伏して、ご軫念を煩わし奉りましたが、すでに身も健康に復しましたゆえ、ふたたび軍務を命ぜられたく存じます」 と、朝廷にその姿を見せ、また表を奉って、 ――秋すずしく...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 曹操は、さらにこう奏上して、帝に誓った。 「生を国土にうけ、生を国恩に報ぜんとは、臣が日頃から抱いていた志です。今日、選ばれて、殿階の下に召され、大命を拝受するとは、本望これに越したことはありません。――不肖、旗下の精兵二...
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
一 一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。 当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。 曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご...
一 「呉の孫堅が討たれた」 耳から耳へ。 やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞えてきた。 董卓は、手を打って、 「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。彼の嫡男孫策はまだ幼年だし……」 ...
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
一 漢中の境を防ぐため、大軍を送りだした後も、曹操は何となく、安からぬものを抱いていた。 管輅の予言に。――明春早々、都のうちに、火の災いあらん――とあるそのことだった。 「都というからには、もちろん、この鄴都ではあるま...
一 せっかく名医に会いながら、彼は名医の治療を受けなかった。のみならず華陀の言を疑って、獄へ投じてしまったのである。まさに、曹操の天寿もここに尽きるの兆というほかはない。 ところが、典獄の呉押獄は、罪なき華陀の災難を気の毒に...
一 馬謖は云った。 「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられていません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三...
一 その日の戦いは、董卓の大敗に帰してしまった。 呂布の勇猛には、それに当る者もなかった。丁原も、十方に馬を躍らせて、董卓軍を蹴ちらし、大将董卓のすがたを乱軍の中に見かけると、 「簒逆の賊、これにありしか」と、馳け迫って...
一 呉に年々の貢ぎ物をちかわせて来たことは、遠征魏軍にとって、何はともあれ、赫々たる大戦果といえる。まして、漢中の地が、新たに魏の版図に加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々、...